これから、戦争なんて起きないよね? 隠された〝真実”に目を向ける

西川重則
「政教分離の会」事務局長

どうして、戦争は起こるのでしょう。易しいようで、難しい問題です。どうして国と国が争うのでしょうか。近い国同士が仲良くできれば、戦争など起こるはずはないと思えるのに、どのようなことから戦争になるのでしょう。
実際に日本が近い国、たとえば中国と戦争をした歴史を考えてみましょう。学校の授業などで学んだと思いますが、一九三一年九月一八日、日本は満州と呼んでいた中国の東北地区で、「中国人が鉄道を爆破した」と嘘の宣伝をして〝自衛のため〟と戦争を始めました。いわゆる満州事変と呼ばれるものです。
当時日本は、中国に軍隊を派遣していましたが、〝自衛のための戦争〟と言い張り、中国は〝日本からの侵略に抵抗する戦争〟と言いました。
私は、この対中国戦争の実態を知るために、中国の学者や日本の学者の主張を学び続けました。そして、中国と日本の学者がともに国境を越えて、良心的に学び合った結果、日本の学者も中国の学者と同じように、日本が中国に対して侵略したことを認めたことを、確認することができたのです。

満州事変が起こったとき、日本は中国からの攻撃に対する〝自衛戦争”と主張しました。けれど実際は、それまでの戦争で勝利していた日本は天皇の強い軍隊だから、弱い中国の軍隊を打ち負かすことができると考え、中国を侵略しようとしていたのです。
そして、一九三七年七月七日に中国への全面侵略戦争を開始し、その名称を支那事変(日中戦争)と呼び、国際法違反の非難を免れて、侵略・加害の歴史を続けました。重慶に臨時政府を設置した蒋介石政権を降伏させるため、重慶まで六百キロしかない宜昌の占領と大爆撃を行ないますが、これが昭和天皇の命によるものだとはほとんど知られていないでしょう。天皇が戦争にかかわっていたこと、その責任も否定できません。この支那事変の解決が見届けられないまま、日本は一九四一年十二月八日にアジア太平洋戦争を開始し、米英に宣戦布告。この大戦争について日本は、アジアを侵略しているヨーロッパの白人を追放し、アジアがともに栄えるための「聖戦」「正義の戦争」だと吹聴しました。この大義名分は、当然ながら世界から認められず、敗戦後、日本の指導者は東京裁判でA級戦犯として極刑に処せられます。しかし、一九七八年十月十七日、靖国神社はA級戦犯を合祀します。彼らは戦犯ではなく、「昭和のリーダーとして天皇のため、天皇の国のため、国民のための戦争であり、日本の『自衛と東亜の安定』のために戦った『昭和の殉難者』だった」と考えてのことです。
天皇の神社でありA級戦犯を合祀するという靖国神社の思想は、創建以来、現在までも維持されていると言えるでしょう。一八六九年六月二十九日の創建時の名称は東京招魂社でしたが、一八七九年六月四日、靖国神社と改めます。文字通り、国を平和にする神社という意味です。しかし、陸海軍の所管にあった靖国神社は一九三八年、ついに陸軍大将を宮司に任命するのです。
天皇の支配下で、偽りの平和の思想を建前に、常に天皇側が官軍・正義と位置づけ、相手は常に賊軍と見なし、日本は常に自衛のための戦争と言い切った歴史でした。靖国神社の遊就館の展示はすべて、あれは自衛のための戦争だったと説明していると思います。世界的にも、この靖国神社は「軍国主義の精神的支柱である」という厳しい批判がなされています。しかし、それらの批判は、靖国神社だけでなく、侵略戦争をした日本に対する批判でもあることを覚える必要があるでしょう。

私たち人間は、相手の国(国民)を差別し、憎み、沈黙できない思いになったとき、戦争で解決しようとします。実際、戦争に至るのは国の決断によりますが、国民の「戦争やむなし」の声が大きくなることと深い関係があることを忘れてはいけません。そして、そのときの大義名分は、〝自衛〟です。
なぜ、どのように戦争をしたのか、という歴史の事実を率直に認め、潔く反省しなければ、今後も同じ間違いをくり返すことでしょう。したがって、私たちは、事柄の真実を知る努力をしなければなりません。戦争は自分の国を問題にしないで、相手の国の責任を問うことから起こることを、過去の戦争の事例から学ぶことが必要です。
何よりも大切なことは、為政者による戦争を是認する発言の背景にあるものを見抜くことです。そのためには、英語のことわざにあるとおり、「不断の警告は自由を享受する」ことを日常の心構えとすることが大切です。「戦争が始まって最初に犠牲になるのは“真実”」ということわざもあります。私たちが求めている真実は、権力者によって知らされないことがあります。

現在、安倍内閣は、愛国心を盛り込んだ改正教育基本法を成立させ、さらに天皇を中心とする歴史・伝統・文化に基づき、戦争放棄の第九条を改憲し、戦争のできる安全保障に変えようとするなど、「戦後レジーム(体制)からの脱却」を目指しています。
この改憲によって、どれぐらい戦争に近づくかを考える上では、現内閣の異常さについて知ることが必要です。私は、毎日国会へ行き、傍聴をして十五年目になります。『これから戦争なんてないよね?』を執筆した二〇〇六年当時と比べて、二〇一二年十二月に第二次安倍内閣が発足した今日では、状況が一変していると感じます。
憲法や法律の改正(改悪)によって、戦争ができる国づくり、社会の在り方を目指していることを国会で知らされる者として、第二次安倍内閣の発足は、重大な意味を持っていると言わざるを得ません。これは、戦後史の重大な変化を示していると言えるでしょう。よく言われることですが、首相はなぜ、憲法改正の手続きに関する「日本国憲法第九六条第一項の条文」の改悪に熱心なのでしょう。それによって憲法改正へのハードルを下げ、第九条(戦争放棄)の改悪に直結させようと考えているからです。それを思えば、その目的は明白でしょう。日米が協力して戦争ができるように日本国憲法を改正する、よりはっきり言えば、部分改正ではなく、全面改正(改悪)を政府は願っているのです。日米安保体制の強化、日米が協力して戦争するために集団的自衛権を得るための憲法改悪構想、これ自体が現在の日本における〝戦争”の象徴的、端的な事例のひとつではないでしょうか。
そして今、この首相の改憲構想を直接反映しているのは、自民党の改憲構想、自民党の改憲原案の決定(二〇一二年四月二七日)です。自民党の本部には、「憲法改正推進本部」と、大きく書かれた看板が掲げられています。より具体的には、今年七月の参院選挙の結果が、安倍首相の決断を左右することは、周知の事実となっています。私は毎年、クリスマスの後、訪中の旅(重慶などへの謝罪の旅)を続け、中国の方々と和解・平和の思いを確認して帰国しています。これは、私ができるひとつの活動ですが、それぞれの立場で、主のみことばに従って、「平和を創り出す人たち」の幸いを与えられる努力をしようではありませんか。

『これから戦争なんてないよね?自由がふつうじゃなくなる日』
にしかわしげのり、みなみななみ 著
A5判 735円

もくじ
戦争のできるしくみつくりました―新ガイドラインについて
憲法9条なんて、ジャマなだけ?―憲法改悪への道・1
憲法9条なんて、ジャマなだけ?―憲法改悪への道・2
知ってる?「共謀罪」のこわーい内容
戦争と教育のカラクリ―教育基本法改正について
憲法改正に「ちょっと待った!」―国民投票法案について

※現行では、憲法改正の発議に国会議員三分の二以上が必要だが、それを議員過半数でできるようにしようとしている。