これって何が論点?! 最終回 靖国問題について教えて!

星出卓也
日本長老教会
西武柳沢キリスト教会牧師。
日本福音同盟(JEA)社会委員会委員、日本キリスト教協議会(NCC)靖国
神社問題委員会委員。

「軍備化に関する法整備・教育改革・靖国神社参拝」の三本柱を目標としている安倍政権。首相が靖国神社を参拝することは時々ニュースで「靖国問題」として取り上げられますが、どういうことですか。

二〇一二年に「首相在任中に靖国に参拝できなかったことは、私にとって痛恨の極みだ」と語っていた安倍首相は、二〇一三年十二月二十六日に靖国神社を参拝。近隣諸国からの抗議はもとより、友好国の米国在日大使からも「失望した」との声明が出され、外交問題にも発展しました。ですが、この「靖国問題」の核心はもっと深いものなのです。

Q 靖国神社は何のために創られたの?
宗教法人「靖国神社」規則第三条(一九五二年九月三十日制定)には「明治天皇の宣らせ給うた『安国』の聖旨に基き、国事に殉ぜられた人々を奉斎し、神道の祭祀を行ひ、その神徳をひろめ、本神社を信奉する祭神の遺族その他の崇敬者を教化育成し、社会の福祉に寄与しその他本神社の目的を達成するための業務及び事業を行ふ」と記されています。
つまり、「聖旨」(天皇の考え、命令)によって「国事」にいのちをささげた人を神とし、それが最も名誉ある行為であると、「死」の意味づけを行うことが靖国神社の存在意義なのです。人間にとって一番大事な「いのち」をささげさせる、つまり戦死をさせるには、納得がいく意味が必要です。人は徴兵制のような法制度や義務だけで「いのち」までもささげられるかというと、そうはいかないのです。
たとえば夫や息子が戦死した妻や子ら、遺族は悲しみと痛みを抱え、「何のために大切な家族が死ななければならなかったのか?」という思いになるでしょう。そんなとき、「一人息子の死」という悲しい現実を納得させてくれる意味づけができたなら。そこに与えられたのが「祖国のための名誉ある死」「天皇のための死」という意味づけでした。
日中戦争から太平洋戦争までの間には、数千から万の単位で大量の戦死者が靖国神社に合祀される臨時例大祭がくり返されました。そして選ばれた遺族たちは、東京に国費で招かれ、戦死者を神として合祀する荘厳な「招魂の儀」に参列し、祭主である天皇ご自身が“神として合祀された遺族を参拝する”という名誉に与ったのです。皇居や新宿御苑、上野動物園の名所見物をさせてもらい「誉の遺族」として地元に帰る。これにより、家族を失った不幸の感情を、名誉ある幸福の感情へと百八十度転換させたわけです。
哲学者の高橋哲哉氏はこれを「感情の錬金術」と語っています。家族を失った怒りや悲しみは、とかく徴兵した国の政策への批判や攻撃に向くものですが、そのような国への批判感情を打ち消すだけでなく、それをさらなる献身の感情に変換させ、続く子どもたちに、お国のために命をささげることを最高の名誉として教え、励ましていくメンタルへと変えさせてゆく。これが靖国のシステムなのです。
よく、靖国神社は戦没者の死を悼む場所と誤解して理解されていますが、靖国神社は死を悼む場所ではなく、名誉ある死として褒め称え、顕彰する場所なのです。

Q「靖国」とは、どういう意味ですか?
「国を安んずる(平和にする)」という意味です。ですが、これは軍隊と深いつながりのある“平和”です。明治維新前後、各地に国のための戦死者を奉祀する神社、「招魂社」が建てられました。戊辰戦争でさらなる戦死者が出たため、盛大に顕彰する必要から、一八七九年に「東京招魂社」を「靖国神社」と改名。各地の招魂社は、「護国神社」と改められます。靖国の「平和」とは、軍事力によって国を安泰にする、という意味の「平和」です。この後日本は、日清戦争、日露戦争、満州事変、盧溝橋事件と戦争の道を歩み、戦死者は飛躍的に増大していきますから、国民を戦争に献身させてゆくシステムづくりが急務だったのです。そして今、安倍政権が目指すのも軍事力による「平和」です。

Q 各国から、靖国神社参拝が抗議されるのはなぜ?
靖国のもう一つの役割は、天皇側の戦い=無条件に正義の戦争、という認識を与えることです。靖国神社は皇軍兵士を「官軍」と呼び、天皇と敵対した兵士はすべて「賊軍」(盗賊の「賊」)と呼びます。ここに神として合祀されるのは、官軍もしくは皇軍側に協力した戦死者のみです。さらにはA級戦犯さえ合祀しています。つまり日本が行った戦争が侵略行為であるとは認めず、“これは正義の戦争であった”つまり“皇軍兵士の戦死者は「英霊」である”として美化する役割、自国中心に判断させる役割を担っているのです。そのため近隣諸国から抗議されるのです。靖国参拝する首相閣僚は、皇軍戦没者を「お国のために尊い命をささげた名誉ある死」と語りますが、被害を受けたアジア諸国から見れば「家族を殺した侵略者」でしかありません。靖国神社の「大東亜戦争はアジアを解放する自衛戦争であった」という歴史観は、到底、日本の外では全く通用しません。
戦没者遺族にとって家族の戦死は最もつらいことです。さらに、その死が侵略行為に加担させられた死であったことを知るのは二重の苦しみを背負うでしょう。しかし、その苦しみを誠実に受け止めるところから、靖国によるマインドコントロールから解放され、軍事力によるのではない「平和」を創る者として生きる道が始まっていくのです。

本文でも取り上げた、高橋哲哉著『靖国問題』(ちくま新書、2005年)、田中伸尚著『靖国の戦後史』(岩波新書、2002年)山中恒著『靖国の子 教科書・子どもの本に見る靖国神社』(大月書店2014年)靖国問題の起訴状が読めるHP 「安倍靖国参拝違憲訴訟の会・東京」 訴状(2014年4月21日)http://homepage3.nifty.com/seikyobunri/sojyo.html