これって何が論点?! 第3回 天皇ってどういう存在なの?

星出卓也
日本長老教会
西武柳沢キリスト教会牧師。
日本福音同盟(JEA)社会委員会委員、日本キリスト教協議会(NCC)靖国
神社問題委員会委員。

「天皇の戦争責任」とか、天皇の話ってタブーな印象があるけど……海外の王室のようなものじゃないんですか? なんで皆、問題視するの?

「キリスト教国でも、君主制度をとっている国はあります。特に英国国王は今でも英国全土の所有者であり、国民の土地の所有権は、いわば使用権のようなものに過ぎません。キリスト教国でさえも君主制を採用しているのに、日本の天皇制はなぜ問題視されるのでしょうか。それを理解するには、明治政府が何のために天皇制を強化しようとしたのか、その歴史を知る必要があります。

Q明治政府は、西洋から何を取り入れたのか。

明治国家を形成する責任を担った政治指導者たちは、欧米列強に対して日本が独立した主権国であることを認めてもらおうとし、日本が憲法によって治められている近代法治国家だとアピールすることを急務としていました。そこで明治政府は岩倉使節団を欧米諸国に派遣し、欧米各国が国をどのように統合しているのか、その形態を学ばせたのです。

そのとき岩倉使節団は、政府機関や制度の仕組みだけでなく、欧米各国が国民を統合している大きな要素に気づきました。それは、機関や制度を超えた一つの宗教、一つの信仰、つまりはキリスト教信仰でした。岩倉使節団の副使として参加した伊藤博文は、一八八八年五月、枢密院における憲法案審議の開始にあたって、「憲法制定の大前提は、我が国の機軸を確定することにあり」と指摘しています。

欧米には宗教なるものがあって、これが国家の機軸をなし、深く人の心に浸潤して国民全体を帰一させている。日本にもそのような「機軸が必要だ」という指摘です。そして、日本において「国家の機軸」として機能しうるものは何かと考えます。プロイセンの法学者ルドルフ・フォン・グナイストは「日本は仏教をもって国教となすべき」と進言をしますが、伊藤は「我が国にあって機軸となるべきは独り皇室であるのみ」と決断したのです。

ここで注目してほしいのは、伊藤博文をはじめとする使節団は、ただ憲法を作り、政治機関や制度を整えるだけでは、欧米のような民衆の内面の求心力は得られないと理解していたことです。国民がひとりの神―キリスト教の神に仕えていることが、社会制度の維持、国民統合の重要な要素となっていると、しっかりと見抜いていたのです。

しかし悲しいかな、「では私たちもキリスト教信仰を学ぼう」とはなりませんでした。むしろ、「国民を統合するという目的のために、キリスト教に代わる神をつくろう」と考えたのです。まさにこれは、本当の神を知らない異教国ならではの発想です。仏教か、いや天皇にしよう……。その結果、行き着いたのが〝国家神道”の始まりでした。日本の近代天皇制は、明治政府が国民の統合のために自家製の神をつくろうとした異教の発想ゆえのものなのです。

これって何が論点?! 第4回 「君が代問題」ってなに?

Q西洋から取り入れなかったものは。

「神をつくる」という発想そのものが、キリスト教信仰からは絶対に生まれ得ないものです。英国は君主制ですが、国家も主権者である王さえも、神によって造られた存在であり、神の下にあり、神のことばに従うよう求められているとの理解があります。王だけでなく、市民の一人ひとりが神の前に立つ存在であり、神のことばに服従する責任が問われていることが大前提となっているのです。このキリスト教の精神こそが、西洋の近代立憲主義を根底から支えているものでした。しかし、伊藤博文をはじめとする明治建国者たちは、宗教というシステムは学ぼうとしましたが、その根本である、国家や為政者をも超える〝創造主への信仰”は学ぼうとはしなかったのです。

Q天皇崇拝と、キリスト教信仰はなぜぶつかるのか。

西洋のキリスト教に代わる宗教として、日本に天皇制を置く、と決めた伊藤博文は、明治憲法で「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と定めました。そして、国民全員が天皇を神とするという宗教を一律に信仰することが当然の義務であると規定したのです。明治以前の朝廷は、幕府に権威を与える存在ではありましたが、礼拝や信仰の対象ではありませんでした。

朝廷に反旗を翻すことも、皇室が冗談の対象となることもあったほどに、神格化とは程遠い存在でした。しかし近代天皇制は、国家統合のために天皇を「現人神」の地位にまで高めたのです。

明治憲法は、第二十八条の信教の自由で、天皇を神とする信仰を受け入れた上であれば、それに妨げない限りで私的宗教の自由は認める、としました。日本は一つの家に仏壇と神棚とキリストの像がすべてあっても、何の良心の痛みも覚えない宗教観かもしれません。

しかしキリスト教徒にとっては、ヤハウェ以外の神を神とすることは、十戒の第一戒にあるとおり、キリスト教信仰の崩壊を意味します。明治政府建国の際につくられた天皇制は、〝従うべき神は創造者のみ”と信じるキリスト教信仰と、その点において、衝突する性質をその内側に持っていたのです。(つづく)

『私たちは天皇制をなぜ問題とするのか「天皇制問題Q&A」』 (2010.02)
『私たちは天皇制をなぜ問題とするのか「天皇の代替わり問題とキリスト教

Q&A」』(2012.11)ともに、NCC靖国神社問題委員会編、日本キリスト教協議会
『日本宣教とキリスト教』(2001.12)櫻井圀郎・石黒イサクほか著、いのちのことば社

 

これって何が論点?! 第4回 「君が代問題」ってなに?