さわり読み 話題の新刊『人生の秋を生きる』ちょっとさわり読み

『人生の秋を生きる』

「この年代にはりめぐらされた特有の“気づき”を発見することが、“生の冒険”の一つ」工藤信夫


推薦のことば(抜粋)
古賀久幸(日本聖公会小浜聖ルカ教会司祭)

 団塊の世代はかつて内的に自己の存在の意味を厳しく問いつつ、集団として社会にさまざまな問題を提起してきました。この世代の人々の尽力なくして今日の日本の繁栄はないといえましょう。しかしその一方、戦後の日本を、必死に働いて支え、駆け抜けた人々が、前例のない高齢化社会を前に自分自身の歩んできた人生を問わざるを得ない新たな時を迎えているのです。

 人生とは深い森を歩くようなものと言われますが、森影がいよいよ濃くなっていくその道行きに不安と惑いを感じない人はいないでしょう。しかし、森を熟知したレンジャーの存在は、頭上を覆う木々や足を取ろうとする苔の名前を教えてくれたり、樹海に潜む神秘の湖のありかを指さして道行く人の不安を取り除き、森の豊かさを新たに気づかせてくれたりします。本書の読者は、工藤先生という優れた案内人に導かれ、森に分け入る旅人です。


本文「はじめに」より

 「十代は無知、二十代は夢、三十代は無謀、四十代、五十代は恥、六十代で人が見え、七十代で自分が見える」ということばを聞いたことがありますが(藤木正三)、人は、残念ながら多くの思い違いを犯しつつ人生を歩み、年齢とともにその体験様式が変化し、年輪を増すとともにその生が深まるということなのでしょうか。
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 ともあれ、“人は生かされて生きている”という視点から言えば、六十代、七十代をどのように生きるかということは、一考に値する大切なテーマに違いありません。少なくとも、この世代は、“残された日々は決して多くない”という宿命を背負って生きていくことになる人々なのですから。

 もちろん、人はみなそれぞれに与えられた“限界の中で生きている”存在ですから、この時期はいたずらに無謀な冒険などできるわけではありません。人生をやり直すには、もう時間的余裕もエネルギーも残されていないからです。とすれば、この年代は、この年代にはりめぐらされた特有の“気づき”を発見することが、“生の冒険”の一つであるに違いありません。

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 本書はこうした背景の下に、六十三歳に至った私自身の心境を綴ったものです。同世代を生きる方々の思索を導く一助ともなれば幸いです。