さわり読み 話題の新刊『健全な信仰とは何か』ちょっとさわり読み

『健全な信仰とは何か』

 私は臨床心理学者の立場から、多くのクリスチャンたちをいろいろな場面で見てきました。あるときはカウンセラーとして、あるときは礼拝や修養会の説教者として、またセミナーの講師としてです。

 一方、長い間牧師をしていたので、牧会者としての立場や姿勢が絶えず根底にあります。

 そのように牧会者と臨床心理学者というふたつの立場から人々に接してきて感じるのは、立場が違うとクリスチャンの実際の姿や置かれている状況に対する認識や見方がこんなにも違うのかということです。

 その違いというのは、クリスチャンが直面している現実の姿についてです。

 牧会者だったときは、クリスチャンを全体的に見るために、現実に直面している個々の問題に対しては、限られた範囲でしか理解していませんでした。

 そして、カウンセラーとしてクリスチャンのクライアントに接していると、クリスチャンが抱えている問題そのものに焦点を合わせるために、置かれている状況の複雑さや問題の根の深さが見えてきました。

 教会の中でのクリスチャンは、信仰者として振舞いますので、必ずしもすべてを話すわけではありません。したがって、牧会者はクリスチャンの問題について情報が限られているので、実際の状況が見えにくいと言えます。

 もうひとつは、現実の具体的な問題に対して援助するよりも、信仰面へのケアが中心になるため、牧会者側もクリスチャン側も、実際的な内容については突っ込んだ話をしないという事情もあるのではないでしょうか。

 さらに、牧会者はみことばを語るのが第一の責任で、みことばを実際にどう適用するかはクリスチャン自身の責任であると考えられていることもあります。それで、実際の生活面での指導は最小限にとどめられるのです。

 その結果、順調なときはよいのですが、信仰の試練に会うとどうしても自分流の対処の仕方になるため、実際のクリスチャン生活では確信をもって歩むのが難しくなります。そして、このような状況が長く続くと、クリスチャンとしての成長に大きな障害になってしまうことは間違いありません。

「はじめに」より