しあわせな看取り
―果樹園の丘の訪問看護ステーションから 第6回 痛みと罪の赦し
岸本みくに
惠泉マリア訪問看護ステーション所長
札幌キリスト召団 余市教会員
大阪、堺市生まれ。
幼い時に父を交通事故で亡くし、母の、「手に職をつけ早く自立するように」との教育方針で、子どもは3人とも医療系に進んだ。卒後15年間大阪の淀川キリスト教病院に勤め、その後、地域医療や福祉、キリスト教の共同体などに関心を持ち、各地をうろうろ。2008年より現在の惠泉マリア訪問看護ステーションに勤務。現在同ステーション所長。北海道に住んで20年、大阪弁と北海道弁のバイリンガル。
のり子さん(仮名)は、乳がんが肝臓、肺、骨に転移した六十八歳のクリスチャンの女性です。抗がん剤治療をやめて緩和ケアに切り替えたときに、訪問看護が始まりました。そのときすでに、るい痩がひどく、誰かにつかまらないとひとりでは歩けない状態でした。この方にはそれから半年、看護師として寄り添いました。
身辺整理はすっかり済ませて旅支度のできたのり子さんですが、それ以外にいくつかの未完の仕事がありました。和解の仕事です。家族や、教会の人たちとの関係のことです。私は、離れて暮らしている一人息子さんを呼ぶことを勧めました。「もうお別れは済ませているから必要ない」という返事でしたが、息子さんがお母さんとの関係で寂しい思いをし、傷ついていることを周囲の人たちから聞いていました。親子の関係修復は、旅立つのり子さんだけでなく、息子さんのためにも必要なことでした。私はのり子さんに、もう迷っている時間はないこと、多くのことを話せなくてもいいから、一言「お母さんはあなたのことを愛してるよ」とだけ言ってあげてほしいとお願いしました。
訪ねてきた息子さんは、お母さんのそばで一晩語り明かされました。そして翌日晴れ晴れとした顔で帰っていかれました。互いに何を話されたのかは分かりませんでしたが、後日、葬儀の席で息子さんが「いろいろ苦しいことや道に迷うことがあったけど、あなたがいたから私は生きてこれたのよ」とお母さんが言ってくれたと教えてくれました。
*
のり子さんには執拗な背中の痛みがありました。強い痛みの発作が頻繁に襲ってきて、そのようなときはしばらくベッドでうずくまって全く動けません。のり子さんの主治医は、外来で硬膜外留置チューブ(背骨の中に入れる細いチューブ)を入れ、モルヒネと麻酔薬をそこから二十四時間持続注入する装置をつけてくださいました。その装置の途中には押しボタンがついていて、激痛の発作が起こったときはそれを押すと注射薬注入のスピードが一瞬早送りとなり、痛みを和らげてくれます。この装置は安全のため一度押すと一定時間は作動しないようになっています。ところが、のり子さんは痛みのいかんにかかわらず、早送りボタンを離そうとせず、何度も押し続けるのです。朦朧としている状態でのこの行動には、何か痛みとは別の理由があるようです。
*
私たちはその姿に彼女の中にある何がしかの不安と恐れを見ました。彼女と神様の間に何かまだ解決していない問題があると感じました。でも、「もう天国に行く準備はできている」というのが、いつもの彼女のことばで、それ以上心を開こうとはしません。
この衰弱している状態で、心の奥深くにある問題に切り込むのはもう無理だし、酷だ、と牧師が言いました。だから「今まで気づかずに犯した罪もお赦しください」という祈りに導くように、との助言でした。
翌日、のり子さんの所に行きました。苦しそうな顔ののり子さんがいました。「つらいですか?あまり苦しいようなら先生に鎮静剤を出していただくようにお願いしましょうか」そうしてほしいという返事でした。神様が私の背中を突っついて「今が時です」とおっしゃいました。勇気を振りしぼって聞きました。
「でものり子さん、天国に行く用意はできていますか」
「できているわよ!」といつもの返事でした。
「でも先生が、私たちには気づかずに犯している罪というものもあるから『その罪もお赦しください』と祈る必要があるとおっしゃっていましたよ」
彼女の表情が変わりました。そして「一緒に祈ってくれる?」と言いました。
それから二人で手を取り合って祈り、賛美しました。彼女の心にどんな変化があったのか、何が起こったのか、私には分かりません。でも、そのときからのり子さんは、痛み止めの早送りボタンを手放したのです。そのあと、介護についていたヘルパーが驚いて教えてくれました。「私に『私死ぬの。ありがとう、お世話になったわね』とおっしゃるのです。痛みもありません。何があったのですか」
のり子さんの最期の時が近いことを感じた私たちは、牧師にも来ていただくことにしました。のり子さんは先生の手を握り、「先生ありがとうございます。このままで逝きます」とおっしゃり、翌朝、静かに召されていきました。
後日、ヘルパーに、のり子さんと祈った「祈り」のことを話すと、その方はまた驚いて言いました。「罪が赦されると痛みも消えるのね!」