つい人に話したくなる 聖書考古学 第12回 医者は奴隷だった!?

杉本智俊
慶應義塾大学文学部教授、新生キリスト教会連合(宗)町田クリスチャン・センター牧師(http:// www.mccjapan.org/)

Qルカの福音書を書いたルカは、医者だと聞きました。

日本では、医者というと高学歴、教養人というイメージがありますね。ですが、ローマ帝国時代の医者には、外国人の名前が多くみられます。このことから、奴隷として仕えていた外国人で、医者などの医療職につく人も多かったのではないかと考えられています。当時のローマ市民が目指した職業は、軍人や政治家、農場主などでした。一方、医者という職業は、悪い仕事ではないけれども、すごくいい仕事というわけでもなかったようです。血やけがれと接する機会が多い仕事なので、それと関係があるのかもしれません。現代の医者のイメージと、当時の医者のイメージはかなり違うことが分かります。ルカは医者であり、たしかに美しい文章で新約聖書「ルカの福音書」を執筆しました。ギリシアに始まる「弁論術」を理解し、歴史を書くときの文芸技法に則って記されているのは事実です。しかし、そのように教養があった理由が〝医者だったから”なのかは不明です。むしろ歴史家として優秀だったのだろうと思います。
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このローマ時代に、現在の病院のようなものができ始めました。ローマ帝国では、祈祷やまじないも盛んに行われましたが、医学の基礎も整備されつつあったのです。ローマの避暑地であり、火山灰に埋まっているのが発見されたイタリアの古代都市「ポンペイ遺跡」では、歯を抜くペンチや、舌をおさえるへら、脳の手術のためののこぎりなど、当時の手術の道具や診察道具がみつかっています。ショッキングなのは、妊娠中絶をするときの鉗子が多数見つかっていることです。望まれない子ができたときには、頻繁に中絶手術が行われていたようです。産婆さんとして、女性の医者もいたようです。また、薬草を調合して与える、薬学も発達していました。鎮痛剤として、「酸いぶどう酒」やモルヒネなどの麻薬が使われていました。つまり、すでにこのころから、現代医学の基礎があったと考えられています。
〝不衛生”によって病気が蔓延するという考え方もすでにあり、上水道、下水道の整備など公共衛生に対する気配りもされていました。映画にもなった「テルマエ・ロマエ」で描かれているような大衆浴場も造られました。ユダヤ社会は、ローマ帝国の支配下にあったので、これらの医療技術の進歩の影響を受けていたことが考えられます。もちろん、かなり宗教的な医療があったことも否定できません。最も有名なのは、ローマ帝国時代の異教のひとつ、いやしの神アスクレピオスです。古代都市ペルガモン(ヨハネの黙示録2章12節に「ペルガモにある教会」と出てくる)には、神殿附属の診療所「アスクレピオン」の跡があります。そこでは、トンネル中に流れる水の音を聴いたり、神の像を見ながら水に入る施設があって、そのようないやしの治療がされていたことがわかります。
アスクレピオスの杖とお酒を飲んだ蛇からなるシンボルは、世界中で医療・医術の象徴となっています。まるで旧約聖書に出てくる〝モーセの青銅の蛇”のようなこのシンボルは、今もヨーロッパの多くの薬局が使っています。ローマ市内の真ん中を流れるテベレ川もいやしの場所として知られていました。紀元前三世紀ごろ、中洲にアスクレピオスをまつる神殿がたてられ、この川の水によっていやされるとされていました。現在はこの中州にキリスト教の病院が立っていますが、その下にはアスクレピオス神殿があったことがわかっています。実はエルサレムにも、そのような場所がありました。それが「ベテスダの池」です。「さて、エルサレムには、羊の門の近くに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があって、五つの回廊がついていた。その中に大ぜいの病人、盲人、足のなえた者、やせ衰えた者たちが伏せっていた。そこに三十八年もの間、病気にかかっている人がいた」(ヨハネの福音書5・1~5)
このベテスダの池を発掘したところ、すぐそばにアスクレピオス信仰の神殿が見つかりました。つまり新約聖書のこの出来事は、アスクレピオスのいやしの神に頼っても治らなかった人が、イエスによって治ったということを意味しているのです。
エルサレムで発見されているアスクレピオスの神殿はここだけですが、ビザンツ時代になって聖アンナ教会がその上に建てられました。ローマ時代は、医学が発達しつつはありましたが、同時に人々は「信仰によっていやされる」ことも求めていた時代だったのです。