ともに歩んで四十八年
~今、止揚学園を語る 止揚学園の「希望の神学」

大和昌平
東京基督教大学准教授、元京都聖書教会牧師

止揚学園は不思議な場所です。重い知能障害をもつ人たちのための施設なのですが、訪れる度に「教会とは何なのか……」を牧師として考えさせられてきたからです。
京都聖書教会に赴任した頃、講演にお招きしたリーダーの福井達雨(たつ う)先生に勧められて、滋賀県東近江(おう み)市にある止揚学園を教会のメンバーと訪ねました。この止揚学園訪問は病みつきとなり、年に一度の訪問が二十年以上続いてきました。
止揚学園の玄関を入ると、板敷きの廊下はピカピカに磨かれて老舗旅館の風情です。窓ガラスには時折鳥が衝突するほどで、この徹底した清潔ぶりが止揚学園の第一印象でした。トイレをいちばん楽しい場所にしたいとの考えから、ぬいぐるみの人形と並んで待つ待合室も作られています。
ここで働く人たちは作業着でなくて、それぞれの私服を着ています。研修にきた大学生がトレーナー姿だったので、福井先生に追い返されたと伺いました。人に会う時は、自分の服をきちんと着てくるのが当然の礼儀じゃないかということなのですが、福井先生のこの厳しい優しさが止揚学園の空気に明るい緊張感を与えています。
京都から車で朝十時頃に到着すると、まず礼拝の時をもってくださり、初参加の人には園内を案内してくださいます。私は午前の時間によく薪割りをしたことが楽しい思い出になっています。現在はかなわなくなったようですが、身体がよく温まるからと、薪で風呂を焚いておられました。本当にいいものを心込めて提供するという姿勢が一貫しています。
昼食は、たくさんあるテーブルごとに数人が座って、大きな家族のような雰囲気です。園生の人たちの身体を考えて夜は軽くし、昼食をメインにしています。スタッフの方々が交代で心尽くしの食事を用意されるのですが、食事作りのボランティア・グループもあります。昭和の一家団らんを思わせる、この昼食のおいしさは格別です。
食後は止揚学園で作られた歌をみんなで歌い、歌にあわせて踊ったりして、消化を促すのだと伺いました。いつも私のそばに来てくれる女の子がいて、私はうれしくて一緒に踊ったのですが、その子のお父さんに私が似ているからだということでした。「昼ごはん、おいしかったよ!」と皆さんに挨拶すると、ワッと沸く反応があって驚きました。逆に、形だけの挨拶には何の反応もないのです。ここは見せかけが全く通じない場所なのだとわかりました。だから、本物が問われることになるのでしょう。
私は止揚学園のカレンダーを毎年買って、部屋に貼っています。断然元気をもらえるからです。曇りのない原色の温かく力強い表現は、止揚学園に何があるのかを物語っています。
昼食の席で皆さんの賛美を聞いた時、あの原色の絵と同じだと感じて、胸がいっぱいになりました。自分たちの歌を心一つに腹の底から歌う。この姿も私が止揚学園ファンになった要因だと思います。昼食後に少し作業していると茶菓の時間となり、いつも午後三時頃には失礼してきました。一日共に過ごしてくださるのがうれしいのだという言葉に甘えて、この訪問をやめられないできました。
ふり返って私の心にいちばん残るのは、「この人たちに私は謝らないといけないのです」と福井先生が真顔で言われた言葉です。地域の学校に通わせたかったけれども、それができなかったことに自責の念を持っておられるのです。また、そういう社会であることに心を痛めておられるのだとも思います。先生のその悲しみが、止揚学園の玄関に掲げられた聖句につながるのでしょう。

「わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである」
(Ⅱコリント4章18節/口語訳)

この言葉の前には、外なる人が衰えゆく今の軽い患難は、やがて想像もできない重い永遠の栄光をもたらすのだとあります。私たちの苦しみは、主イエスが味わわれた十字架の苦難につながっているとパウロは考えました。だから、弱さの中で大いなる希望に生きうるのだと展開するのですが、この「希望の神学」こそ止揚学園の心だと思います。
東京基督教大学では福井先生の特別講義があり、今年度は一人の学生の止揚学園への就職が決まりました。キリスト教福祉専攻の学生だけでなく、教会教職専攻の学生にも「人生を変えたいと思うなら、止揚学園のインターンシップに行くべきだ」と、私は学生たちにチャレンジしています。それは、ここに行く度、「教会とは何なのか」を問われてきたからなのです。