なぜ今、ロイドジョンズなのか? 『教会とは何か?』が問いかけるもの
鞭木 由行
日本福音キリスト教会連合 生田丘の上キリスト教会牧師/聖書宣教会教師
私がこの講演を訳出したのは、今から二十年以上も前のことです。当時、私は、ボストン郊外にあるゴードン・コンウェル神学校の学生でした。そこには、テープ・ライブラリーがあり、ヒアリングが不得手な私は、そのライブラリーから著名な先生たちの説教や講演を借りて、寮から丘の上の図書館までの十五分の道程を利用して、テープを聞き続けました。そのライブラリーには、ヴァンティルがあり、シェーファーがあり、ジョン・マーレーがあり、私にとってぜいたくな特別講義となりました。
そういう中で出会ったのが、このロイドジョンズの『教会とは何か(原題はThe Doctrine of the Church)』でした。ロイドジョンズの声は、テープで聞く限り、しゃがれた頑固親父(?)といった印象を与えます。独特のウェールズなまりに悩まされましたが、一度聞き終わるとまたすぐに聞きたくなる不思議なテープでした。
私が、このテープを訳そうと思った直接のきっかけは、ちょうどそのころ、所属する団体の機関誌から原稿を依頼されたからですが、真の動機は、それまで奉仕していた小川キリスト教会(茨城県)での牧会経験の反省であったと言っても過言ではありません。
だれでも教会とは何かということを明確に理解することなくして、教会に仕えることはできませんし、ましてや教会の成長を論ずることはできないはずです。教会の本質をもっと良く理解していたならば、牧会上の諸問題に対しても、もっと適切な判断や助言ができたであろうと悔やまれてなりませんでした。
教会は生きており、教科書ふうの教会論を一とおり学んだだけでは、牧会の現場では判断に迷うことがしばしばです。その点ロイドジョンズは、牧会者としてのその視点を意識しながら、ここでは神学書としての教会論ではなく、生きた教会の姿を論じています。
今日の教会の混乱を見るとき、私には、ロイドジョンズが三十年も四十年も前にこの講演の中で指摘した諸問題が、ますます顕在化していることを思わされています。時を経ても、なおこの講演が出版される意義があると信じるゆえんです。
生きた教会を論じるにあたり、彼は、使徒の働き二章に見られる初代教会の姿に注目しています。まず注目しているのは、最初のクリスチャンたちが共通して持っていた回心の深さです(三七節)。彼はそれを「深遠なる変化(profound change)」と繰り返しています。
そして、このような深い回心なしに、軽く洗礼をしてしまう今日的傾向に警鐘を鳴らしています。それは数的成長を優先するとき、どうしてもおろそかにされてしまう教会の弱さです。受洗者の数を数え上げる悪弊が、どんなにか教会をゆがめてきたことでしょうか。
次に、ロイドジョンズが、教会の本質を論じるに当たって注目しているのが、使徒の働き二章四二節です。「そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。」ここには・使徒の教え(教理)、・交わり、・パン裂き、・祈りという四つの課題がありますが、これがそのままこの講演全体の骨格となっています。
しかし、これら四つのバランスは著しく崩れていて、ロイドジョンズは、最初の「使徒の教え」つまり、教会における教理の重要性を強調しています。その理由は言うまでもありません。ここにこそ、現代の教会の本質があり同時に、弱さがあることを見抜いているからです。
今日の教会において、教理を強調するということは、ほとんどなくなってしまいました。多くの教会は、教理を引っ込め、その代わりに「家庭的な愛の交わり」「カウンセリング」「いやし」「聖霊の賜物」「生き生きとした現代的賛美」を売り物にするようになっていきました。ロイドジョンズは、初代教会が、そのような教会ではなかったことを明らかにしています。
ロイドジョンズのメッセージの背景には、現代の教会が教会ではなくなりつつあるという危機感があります。そのことに心を痛め、教会が教会であり続けるように、という祈りと叫びがあるのです。
ロイドジョンズが戦慄を覚えたという言葉「すべての制度、団体は、正反対のものを生み出す傾向がある」に、私たちも戦慄を覚えなければならないでしょう。福音派の教会でさえもはや例外ではありません。もし私たちが真剣に「教会とは何か」をみことばの中に求めないならば、教会はいつでも何か正反対な別物へ変身していってしまうのです。この講演が、主の教会としてのあり方を求める諸教会の一助となることを心より願っています。
また後半は「説教とは何か」という講演ですが、教会の衰退と説教の衰退は表裏一体の出来事です。これは、むしろ教職者の問題ですが、同時に説教は牧師だけでは成り立ち得ないものであることを指摘しています。私にとっては、このテープのほうが大きな意義を持っています。彼が夢の中でのみ体験したという「説教の本質」に私たちも少しでも近づきたいと願わされています。
ロイドジョンズの肉声を記録した「教会とは何か?」の説教CDを抽選で十名様にプレゼントします。ご希望の方は、住所、氏名を明記の上、六月十日までにはがきにてお申し込み下さい。
*申し込みで入手しました個人情報は抽選終了後、破棄いたします。