わが家の小さな食卓から
愛し合う二人のための結婚講座
第1回 愛されことば、悲しみことば
大嶋裕香
1973年東京生まれ。宣教団体でキリスト教雑誌の編集、校正を手がける。99年にキリスト者学生会(KGK)主事の夫と結婚後、浦和、神戸、金沢と転々としながら年間100~200名近い学生、卒業生を自宅に迎える。KGKを中心に、夫と共に結婚セミナーで奉仕。その傍ら、自宅でパン教室、料理教室を開き、子どもたちにパン作りを教えている。13歳の娘と10歳の息子の母親。
わが家の食卓はとても小さいのですが、多くの思い出がつまっています。食事のほかにも、子どもたちが宿題をしたり、パン教室の生徒たちがパンをこねたりしてきました。よく拭いているつもりでも、バターやら、粉やらがじわじわとしみこんで、えも言われぬ味わいを醸し出しています。
思えば、この食卓には多くの方たちをお招きしてきました。学生伝道(キリスト者学生会)の働きをしている夫の職業柄、若い学生、卒業生たちを中心に、年にのべ百人以上の方々を自宅に迎えています。十四組のカップルの結婚式の証人もさせていただきました。彼らもまた、必ずわが家の食卓にお招きする方々です。カップルのお二人とともに、結婚前に少なくとも三回、結婚後に一回、結婚の学びを持つようにしてきました。私の夫も交えて四人で食卓を囲み、一回の学びにつき五つほどの質問を一緒に考えます。
第一回目の学びでは、「愛されことば、悲しみことば」について分かち合います。
「あなたが相手から受けた『愛されことば』は何ですか」「あなたが相手から受けた『悲しみことば』は何ですか」
「愛されことば」とは、相手に言われると愛を感じることばや行動、「悲しみことば」はその反対で、相手に言われて悲しみを感じることば、行動のことです。お二人がお付き合いを始めてから、または婚約期間に入ってから過ごしてきた今までの時間を、じっと思い起こしてもらいます。
さらに、「自分が相手に与えた(と思う)『愛されことば』は何ですか」「自分が相手に与えた(と思う)『悲しみことば』は何ですか」。この四つの質問を書き込んでいる間、お互いのノートを見ることは禁止です。その後、順番に分かち合いながら、考えたことを照らし合わせます。
すると「えっ、そんなことが『愛されことば』だったの!」と驚きがあったり、「やっぱり僕があの時、ああしたことは『悲しみことば』だったんだね」と、頷き合うことも起こります。このときのルールは、「そんなつもりで言ったんじゃないのに!」と言わないことです。なぜなら「悲しみ」として相手に届いた時点で、それは相手にとって起こった出来事だからです。
特に男性は、自分の「悲しみことば」を話すことが得意ではありません。「こんなことで悲しいと思う小さな男なのか」と、相手に思われるリスクと戦うからです。「そうだったんだね……」と受け止めてもらえる安心した交わりを、結婚前につくることが大切なのです。
さらにこの学びの狙いは、相手の愛されポイントと悲しみポイントをよく知って、相手に伝わることばを知ることです。そもそも別の人格と結婚するのですから、お互いの愛の言語(ことば)も随分違います。
たとえば、私は小さな花柄が大好きです。しかし「裕香は花柄が好きだから」と、夫の大好きなアロハシャツをプレゼントしてくれたとしても、私はそっとタンスの奥深くにしまうでしょう。アロハシャツは私の愛されポイントから外れているからです。愛は届かないと愛ではありません。
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ある結婚セミナーで、この「愛されことば、悲しみことば」を参加者で分かち合ったときのこと。
年配のご夫妻がこのように言われました。
「僕の『愛されことば』は、仕事を終えて家に帰って来たときに、外灯がついていることです。『お疲れ様』という妻の気持ちが伝わってくるんです。今まで言ってなかったけど……」少し恥ずかしそうに言うご主人のことばを聞き、奥様は「えっ、そんなことなの?」と驚いた後、ぱっと顔が明るくなってうれしそうな顔をされました。心あたたまる素敵な光景でした。
私たち夫婦も先輩のアドバイスを参考にして、結婚して一年間は毎晩、「今日の愛されことばと悲しみことば」を三つずつ分かち合いました。毎日となると、非常に些細なことも伝えないといけません。
「今日は笑顔で元気に『おはよう』って言ってくれて、うれしかったなあ」とか、「お茶をどんっと置かれて悲しかった」などなど。また、この「愛されことば」「悲しみことば」は日々変化するのです。
今もわが家の食卓に多くの方が来てくださることで、私たち夫婦も互いに自分の気持ちをことばにすることができていると思います。
こうして少しずつ、少しずつ夫の愛されことば、悲しみことばの単語帳は増えていきました。夫もきっと、私の愛されことば、悲しみことばの単語帳を、胸にしまってくれていると思います。