わが父の家には住処(すみか)おほし
北九州・絆の創造の現場から 第15回 わが父の家には住処(ホーム)おほし

奥田 知志
日本バプテスト連盟 東八幡キリスト教会 牧師、NPO法人 北九州ホームレス支援機構理事長/代表

 病院から連絡があったのは日付が変わろうとしていた時だった。Hさん危篤。「ついにその時が来たか」と車を走らせる。エレベーターを降りると暗い廊下の先にひとつだけまぶしく明るい部屋がある。何度も見た光景。その部屋に入るのが怖い。
Hさんはすでに召されていた。入院時、すでに手のつけられない状態であった。胸元には外から見てもわかるほどの突起が見える。がんは相当進行していたのだ。病室で祈る。
ふた月前、Hさんは身体を引きずるように炊き出し会場に来られた。ただならぬ状態であることは誰の目にも明らかだった。入院を勧めるが拒否。かすれ声で語られたあの日のことばが忘れられない。「仕事もないし、生きていてもしようがない。自分は邪魔な存在だから……入院はしない」
彼の人生に何があったのか。自分のことを「邪魔な存在」というHさん。「邪魔な存在には居場所など不要」と彼は入院を拒む。「邪魔な存在」という言葉が私たちの上に重くのしかかっていた。
しばらくしてHさんは倒れ、救急搬送された。見舞うと病室でHさんは笑みを浮かべつつこう言われた。「医者の話しじゃ、俺はもう死ぬらしい」。自立後、病気で倒れた人々をしばしば見舞う。皆だいたい泣いておられる。路上では「早く死にたい」とおっしゃっていた方が、自立後は「生きたい」と泣かれるのだ。希望を持つことによって人は泣くことが出来る。しかしHさんは笑っておられた。深い絶望の闇がそこにはあった。
どうしても言わねばならないことがあったが、伝えることができないまま彼は召された。五十二歳。入院から二か月足らずのことだった。ボランティアと野宿仲間が集まり葬儀を行う。家族は来なかった。説教に伝えたかった「ことば」を込める。
「Hさん。天国に行く前にあなたに伝えたいことがあります。だからよく聞いてください。あなたは邪魔者ではありません。僕はあなたに会って、あなたの『邪魔者』という言葉にたじろぎました。あの言葉が今も胸に突き刺さっています。
でも、覚えていますか。あなたが『入院しない』とおっしゃった後、何人もの人が路上を訪ね説得を試みたでしょう。見舞った人も少なくありません。ここには泣いている人もいます。それでも『邪魔者な存在』と言いますか。あなたは邪魔者ではありません。もう一度言います。あなたは邪魔者ではない。
私たちは悔んでいます。もう少し早く何かすべきだったと。あなたと向かい合い、生きることについて喧嘩してでも語り合うべきだったと。人は一人では生きていけません。私たちには『ホーム』と呼べる人が必要なのです。人は『誰か』に心配してもらわないと病気とも闘えないのです。僕らは、あなたの『誰か』になろうと思いました。しかし……『はなはだ心もとない』。それが正直な気持ちです。
僕らの手の届かいところにいかれたHさんに、聖書の言葉を贈ります。『わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである』(ヨハネ一四章)。誰が邪魔な人にすまいの準備をするでしょう。今頃天国で、あなたは気づかれているはずです。あなたのためにすまいが準備されていたことを。そして、そのために主イエスが奔走されたことを。Hさん。神様は邪魔な存在を作るほど愚かではありません。神様は、邪魔な存在を作るほどお暇でもないのです。苦労の多い生涯であったことは想像に難くありません。それでも僕は今日、Hさんに伝えたいのです。『わが父の家には住処おほし』この言葉は本当です」
Hさんが召された時、町はアドベントを迎えようとしていた。「自分は邪魔者」と孤独の深淵で嘆く男にもクリスマスは訪れる。孤立の中で存在意義を見失う人々が必要としているものは絆なのだ。「インマヌエル(神我らと共にいます)」は、絆こそが救い主誕生の意義であったことを証ししている。Hさんは独りで逝ったのではない。そう信じる。
彼だけではない。二十二年の歩みの中で召されていった人々で「インマヌエルの主」と無縁だった人など一人もいない。どんなに拒否しようともインマヌエルこそが唯一の現実なのだ。今日もホームを失ったすべての人々に伝えよう。「わが父の家には住処おほし」――あなたは大切な存在だ、と。