わが父の家には住処(すみか)おほし
北九州・絆の創造の現場から 第2回 ホームレスとは誰か?
奥田 知志
日本バプテスト連盟 東八幡キリスト教会 牧師、NPO法人 北九州ホームレス支援機構理事長/代表
「ホームレスとは誰か」―二十年間この問いは常にあった。一般には「野宿者」を意味する。政府も「都市公園、河川、道路、駅舎その他の施設を故なく起居の場所とし、日常生活を営んでいる者」(ホームレス自立支援法)と規定している。しかし……、ホームレスとは誰か?
野宿状態は、身体的にも精神的にも多くの悪影響を及ぼす。さらに就職や生活保護申請など社会的手続きを困難にする。彼らは、住、食、衣、医あらゆる面で窮乏状態に置かれている。私たちはそれを「ハウスレス」と呼んできた。「ハウス」は「家」に象徴されるあらゆる物理的必要を指す。支援現場は常に物理的困窮との闘いであった。炊き出しにはじまる支援の第一課題はハウスレス(物理的困窮)の解消であった。これは生存権の問題であり、本来国の公的扶助に関する問題でもあった。
一方、彼らは「ホームレス」と呼ばれている。「ホーム」は、家ではなく家族、友人、知人など、人と人との絆を指す言葉。私たちは「ホームレス」を「関係の困窮」として「絆が切れた人々」を意味する言葉と理解し、ハウスレスとは区別してきた。路上で亡くなる人の多くが「無縁」仏として最期を迎える。ホームレス支援は物理的困窮=ハウスレスとの闘いであると同時に、無縁=ホームレスとの闘いだった。「畳の上で死にたい」という切実な願いに応えアパート入居の支援を行う。念願の「畳」へ。しかしそれでは終わらない、いや始まると言っていい。当然とも言うべき次の課題へと人は向かう―「最期は誰が看取ってくれるだろうか」。「自立」が「孤立」に終わるなら問題は残ったままだ。支援においては「彼にとって何が必要か」(物理的問い:家、食など)を模索すると同時に「彼にとって誰が必要か?」(人格的問い)が重要だった。対人援助の現場ではこの二つの問いが必要なのだ。ホームレスとハウスレス。それが活動の基本的視座であった。
今から十数年前、深夜に中学生が寝ている野宿者を襲撃する事件が頻発した。被害者と一緒に中学校を訪ねた。その帰り道。被害者であるおやじさんは私にこう語りかけられた。「夜中の一時、二時に町をウロウロしている中学生は家があっても帰るところが無いのではないか。親はいても誰からも心配されていないのではないか。帰るところの無い奴の気持ち、誰からも心配されない奴の気持ちは俺(ホームレスである自分)にはわかるけどなあ……」。加害者と被害者が「ホームレス」という同じ十字架を背負っている。両者は、共に絆(ホーム)を失った人たちだ。家庭崩壊、学級崩壊、地域の崩壊、関係がことごとく崩壊する時代。ならば小学生のホームレスがいるのではないか。サラリーマンのホームレスがおり、ホームレス老人が孤独死を遂げる。家(ハウス)には住んでいるが、帰るところ(ホーム)を失っている人々の現実。ホームレス支援の現場からこの社会が透けて見える。私たちの社会そのものがホームレス化しているのだ。
「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(マタイ四章四節)。イエスご自身「パン」の大切さは十分知っておられた。「人の子には枕する所もない」(マタイ八章二〇節)という現実に生き、空腹のまま帰らせると途中で倒れるような人々(マルコ八章)と旅をされた。私たちと同じ身体性を持ち肉体の弱き現実をご存知だったイエス。そのイエスが宣言される―「パンだけではダメだ」。
「みことば」は神のモノローグ(独り言)ではない。神は独り言を言うほど孤独でもお暇でもない。「みことば」は「呪文」でもない。それを唱えると奇跡が起こるというものではない。「みことば」は「絆」だ。私に語りかけられた生ける神の言葉なのだ。ホームを失った者たちを絆(ホーム)へと招く神の言葉だ。「あなたを赦す。あなたのことを愛している。あなたが必要なのだ」。失われた関係、絆がみことばをもって回復される。
「俺たちは、弁当をもらいにだけ来てるんじゃない。声がほしい。誰かとつながりたいんだ」。ある夜、炊き出しの列に並ぶおやじさんが仰ったその言葉が忘れられない。イエスは、そんなホームレスな人々との絆を結ぶために語り、伴うために十字架の道を歩まれた。ホームレスとは誰か? 教会はホームとなれるか?