わが父の家には住処(すみか)おほし
北九州・絆の創造の現場から 第7回 黙祷
奥田 知志
日本バプテスト連盟 東八幡キリスト教会 牧師、NPO法人 北九州ホームレス支援機構理事長/代表
公園の片隅に「記念碑」が並ぶ。路上で亡くなった人々を偲ぶため名前が刻まれた丸太である。路上死の多くが「無縁仏」となる。活動開始二十年。記念碑は百本を超えようとしている。
「祈るためにまず必要なのは沈黙です。祈る人とは、沈黙の人といってよいでしょう」。マザー・テレサの言葉である。人はなぜ祈るのか。願いのある時―祈りは希望である。誰かを心配するとき―祈りは愛である。……しかし、祈れない日が来る。祈ることが「しんどい」夜―私たちの中から「祈り」が消える。その日、祈りの本質である希望も愛も私たちから消え失せてしまう。
今年の新年炊き出しも追悼集会で始まった。「生きて春を迎えよう」。決して大げさではない。亡くなった一人一人のことを報告し、全員で黙祷をする。二百人程が集まる公園が静まりかえる。恐ろしい程の静寂に包まれる。「黙祷」は「無言のまま、心の中で祈祷する」こと(広辞苑)。私は追悼の度にこう祈っていた。「神様、路上で亡くなった○○さんをどうぞよろしくお願いします」。しかし数年が過ぎ、路上の黙祷は私をさらに深い沈黙へと導いていった。願望や希望が容易に入り込むことのできない現実を前に「祈れない」状態が続いた。完全なる沈黙。人間のいかなる言葉も通じない場面で、全員黙っている。それが路上の黙祷なのだ。誰に訴えることも、誰に看取られることもなく死んでいく。しかもその場で追悼している側の人々は、明日は自分が追悼されているかも知れないという現実を抱えている。支援者もまた言葉を失う。「お前はあの日どこにいたのか」。自問すれども自答できない中で黙って下を向いてうなだれている。
「慰められることさえ願わない」(マタイ二・一九、口語訳)。そんな絶望の場面で、なお人が祈ることは出来るのか。その時私たちは必然的に次の祈りへと導かれた。それは「聴くという祈り」。寒風吹きすさぶ公園で押し黙るしかなかった私たちは、ただただ耳を澄まして何かを聴こうとしていた。「もう語ることもできない。だから誰か何か言ってくれ」。そんな声にならないうめきをもって黙祷している。「祈りは願いごとではありません。祈りとは自分自身を神のみ手の中に置き、そのなさるままにお任せし、私たちの心の深みに語りかけられる神のみ声を聴くことなのです」。そのように語るマザー・テレサもコルカタの街角で死にゆく人を前に絶句していたのだろう。
自分の中のどこを探しても希望が見いだせない。しかし、希望がなければ人は生きられない。希望はどこにあるのか。……私の外。そうなのだ、希望は外から差し込む光なのだ。絶句を超えてなお祈りは失われない。しかしその時祈りは必然的に「祈ること」から「祈られること」へと転換させられる。外からの声に必死に耳を傾け、路上の黙祷は、そのように祈る人の姿なのである。
「しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。それで、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい」(ルカ二二・三二、口語訳)。イエスはペテロに語りかける。しかし「獄までも、たとえ死んでもあなたから離れません」と言い切ったペテロが三度知らないとイエスを裏切る。その日ペテロは絶句したに違いない。祈ることができないペテロは、あの日のイエスの言葉を必死に聴き直したに違いない。「あなたのために祈った」。その言葉に傾聴し、しがみつき、アーメンとうなだれる彼の姿が浮かぶ。
現在の教会に赴任した時、O姉という女性の長老がおられた。寄る年並みで物覚えが極端に難しくなっておられた。ある日、この姉妹が献金の祈りに立たれた。「神様、この献金を御用のためにお使いください。……神様、実は私は最近どうも物忘れをしているようです。みなさんにご迷惑になっていないか、とても心配です。このままだと私はいつか神様のことも忘れてしまうのではないかと、とても不安になります」。深刻な祈りの言葉に礼拝が静まりかえった。しかしO姉は最後に絞りだすように付け加えられた。「しかし、神様。もし私があなたのことを忘れても、あなたは決して私のことをお忘れになりません。だから私は生きていけます」。絶望を凌駕する希望の光が「外から」礼拝堂を包み込んだ。今はもう天に召されたが、この姉妹の祈りが路上で絶句する私を今も支えている。「お前のことを祈る」。イエスの一言にいのちをかけて傾聴する。路上の黙祷は、私たちの人生から決して祈りが奪われはしないという事実を示し続けている。