イエスさまに出会った少年の物語 第4話 サマリヤの女の告白

橘由喜

〈前号までのあらすじ・六十年前にイエスに出会ったひとりの老人が、パンと魚が増える奇跡を語り終えた。そして…〉

 十字架と復活の話をする前に、わたしにとって忘れられない婦人の話をしてもよいじゃろうか。どうもこの美しい夕暮れを見ると少年のころに出会ったサマリヤの婦人を思い出すのじゃ。


 サマリヤは、不幸な歴史を背負った町じゃ。かつては北イスラエルの首都であったが、歴代の王たちは異教の神々に心奪われ、偶像礼拝が横行した。

 そればかりか、アッシリア、バビロニア、ペルシャと次々に侵略され、ようやくエルサレムに帰還した時には、ユダヤ人からは異邦人と忌み嫌われ、サマリヤ地方に追いやられた民族となっていた。

 まあ、だれもが知っていることじゃがな。先祖の罪をいつまでも引きずって、まともに扱われないというのは、これはいじめじゃ。エルサレムに上ることすら許されてはいなかったんじゃからな。


 実はな、わたしは、そのサマリヤに足を踏み入れたんじゃよ。こともあろうにイエス様がサマリヤに行かれたという情報があってな。

 えっ、イエス様があのサマリヤに行かれた? どういうことだと、わたしは仰天したぞ。しかしすぐに思った。これはきっと深い意味があるに違いないとな。わたしはイエス様を追いかける決心をした。

 いやはや、わたしにこんな度胸があったとは自分でもあきれておる。イエス様に会いたい、いわばその一心じゃな。


 母に無理を言って、わたしは二日分の弁当をもって家を飛び出した。とにかくガリラヤ湖からヨルダン川沿いに二日間歩きに歩いた。そして翌日はヨルダン川からサマリヤに向って流れている川沿いを今度はシケムに向って歩いていったのじゃ。

 そう、もうそこはサマリア地方じゃ。潅木地帯が続いておってな、荒れた土地じゃった。

 どのくらい歩いただろうか……途中でろばに乗った数人の男性に出会った。思い切ってわたしは彼らにイエス様のことを尋ねてみたのじゃ。

 しかしすでにイエス様はだいぶ前にサマリヤを去ったとのことじゃった。せっかくここまで来たのにと、わたしはがっかりしてその場にへたり込んだわ。

 するとな、そのサマリヤ人のグループの一人が、どうしてこんなところまでイエス様を追いかけてきたのかと、わたしに質問してきたのじゃ。少年のわたしを気の毒に思ったのか、その声はやさしかった。

 そこでわたしは、これまでのいきさつを彼らに話して聞かせた。あのパンの奇跡をな。語っているうちに、わたしは彼等がサマリヤ人であることも、ここがさみしい荒野であることも忘れてしまったよ。

 聞く彼らの顔も輝いてな、あたかもこのあたりにパンと魚があふれ出たような気分になって思わずあたりを見渡したよ。


 さて、わたしの話を聞き終わった彼らは、今度は、イエス様とサマリヤの女性の出会いをわたしに聞かせてくれたのじゃ。

 やっぱりイエス様はサマリヤにこられたのだ。しかもサマリヤの女性と親しく会話をされたばかりか、その女性をとおしてスカルという町全体を感動のるつぼにしてしまわれたというのじゃ。

 その女性にぜひ会いたいとわたしは思った。そこで思い切って言ってみた。するとな、なんと明日彼女のいる近くまで連れていってくれるというのじゃ。ロバでそこまで案内してくれると言う。

 そればかりか、その晩の宿まで提供してくれた。イエス様というお方は、こだわりも差別もしきたりさえも超えられてしまうお方なのじゃ。すごいお人じゃ。

 翌日、わたしはそのサマリヤの女性にあうことができた。黒いひとみと黒い髪が似合うきれいな人じゃったわ。

 彼女は、子どものわたしに対して正面から向き合ってくれてな、時には涙ぐみながらこんな話をしてくれた。


 サマリヤでも、その婦人は嫌われ者じゃった。

 何度も離婚を繰り返し、身も心もズタズタになっていたようじゃ。そんな彼女が人目につかない時間を選び、ヤコブの井戸にこっそりと水汲みに来ていた時に、こともあろうにイエス様に出会ったのじゃ。イエス様は彼女にこう言われたんじゃと。

 「女の方、わたしに水を飲ませてください」

 ユダヤ人のしかも見るからにラビと呼んでもいいような男性に声をかけられた彼女は、驚き怪しんで身がすくんだそうじゃ。同時に、ひやかされているのだと思って腹がたったそうじゃ。

  もっともじゃ。ユダヤ人の男性がサマリヤのしかも女性に声をかけるなど前代未聞じゃものな。

 だからな、彼女は高飛車にこう言ったと。

「ユダヤ人のくせに、どうしてサマリヤの女のあたしに水をくれなんていうのさ」

 睨み付ける彼女ををじっと見ていたイエス様は、静かにこう言われたそうじゃ。

 「わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」

 涌き水の場所でも知っているのかと彼女は思ったそうな。それで今度は、彼女のほうが、「その生ける水はどこから手にお入れになるのですか」と聞いたそうじゃ。

 そりゃそうじゃ。もし涌き水でもあれば、彼女は、隠れて汲みに来なくてもいいんじゃからな。

 するとイエス様は、急に話題を変えてな、こう言われたんじゃと。

 「あなたの夫をここに連れてきなさい」

 あまりに突然だったので、彼女はとっさに「夫はいません」と本当のことを言ってしまった。

 するとな、イエス様は、大きく頷きながらこう言われたんだと。

 「夫がないというのはもっともです。今、あなたといっしょにいるのは夫ではないからです」

 彼女は仰天した。はじめて会った彼女の生活を見ぬいておられたからじゃ。

 つづく