イエスさまに出会った少年の物語 第5話 回心したスカルの町
橘由喜
〈前号までのあらすじ・ある老人が少年時代、イエスを追いかけてたどり着いたサマリヤで、人びとに嫌われているひとりの女に出会った。〉
「その男は、そう、イエス様は、あたしのこれまでのすさんだ生活を言い当てたのさ。驚いたよ。何もかもお見通しさ。でもなじったりするんじゃなくて、やさしくありのままを受け入れてくれるような安心感があったよ。あたしみたいな女に、そんな口調で語ってくれた人間はいままで誰もいなかったさ。」
彼女は涙ぐんでしばらくは言葉を失ってな。やがて顔を上げたとき、その顔は輝いておった。そして思い切ってイエス様にこう言ったそうじゃ。
「あんたは預言者だと思います。それであの……以前から疑問に思っていたことなんだけど……ひとつ聞きたいんですよ。あたしたちの先祖はずっとこのゲルジム山で礼拝してますけどね、ユダヤ人は、礼拝すべき場所は、エルサレムだと言って、あたしたちサマリヤ人を軽蔑しているじゃないですか。」
するとな、イエス様は、満足そうににっこり笑ってこう言われたと。
「サマリヤ人はゲルジム山、ユダヤ人はエルサレムというように、礼拝場所を問題にしてはいけないよ。神様は、真の礼拝者が霊とまことをもって礼拝することを願っておられるのだよ。」
彼女はイエス様の毅然としたお答えに満足して、すっかり嬉しくなって、さらに言ったと。
「あたしはこんな生活してるけど、キリストと呼ばれるメシヤが来ることを待っているんです。その方が来たら、あんたのように分け隔てなく何でも知らせてくれるはずだからね。」
するとなんと、イエス様が少し声を高めてな、はっきりとこう言われたそうじゃ。
「あなたと話しているわたしがキリストです。」
それは威厳に満ちたお声だったそうじゃ。彼女は腰を抜かしそうになったと。そのとき、お弟子さんらしい数人のユダヤ人が駆け寄ってきたそうだ。だが静かにイエス様の後ろに膝をかがめて、びっくりする様子もなく、ただ見守っていたそうな。
確かにお声が聞こえたはずなのに、弟子たちはそれを当然のように受けとめておったそうな。その様子を見て彼女は身震いしたと。
ああ、これは本物だ、この方はメシヤだと。その方がこんなあたしに会ってくださったんだ。黙ってなんかいられない、そう確信してな。彼女は、はじけるように立ちあがったと。自分のみじめな立場や過去をすべて知っていながら、彼女の信仰心を見抜き、光を当ててくださったお方に会って、魂がゆさぶられたんじゃろうな。
じっとしてはおられんかったんじゃ。メシヤに会ったその感動が彼女を突き動かしたんじゃな。彼女はためらうことなくスカルの町を目指して一目散に走り出したのじゃ。
いやはや、これはスカルの町全体にとっても大事件となった。
彼女が町に来たというだけで、スカルの町は大混乱……汚れた者を見るような目で、町の人々は彼女を遠巻きにしたそうな。
その人々を前に彼女は全身で話し出したというんじゃ。大きく目を見開いて、大粒の涙が頬を伝わっているのがわかったという。彼女のあまりの熱心さに、人々が集まりだしたそうな。
「みんな。みんなもナザレのイエス様のことは聞いてるでしょ。そう、奇跡を行うあのイエスよ。そのイエス様とこの山の上のヤコブの井戸で、さっきあたしは会ったのよ。きっとまだイエス様はその井戸にお弟子たちといるはずだよ。ああ、こうしているうちに見失っちゃうよ。さあ、あたしと一緒に来てどうかイエス様に会ってよ。ねえ、お願い。」
「お前みたいな女の言うことを誰が信じるもんか。黙れ!」
「黙るもんか。黙ってなんていられないよ。なんてったってこんなあたしにやさしく話しかけてくださったんだ。そんなユダヤ人がいままでいたかい。そればかりかこのあたしの乱れた生活を全部言い当てたんだよ。あたしが五回も離婚したことや、今、同棲していることまでお見通しさ。ああ、でもそれはなじるんじゃなくて、語りかけるように、諭すように……。」
いつしか人々は静かに彼女の話に聞きいっていたそうだ。
そしてついに町中の人たちが、彼女の案内で、イエス様がおられるはずのヤコブの井戸へかけ上がってきたのじゃ。
イエス様はまるで彼らの来るのを待っていたかのように、両手を広げて近づいてこられたそうじゃ。そのお姿は、たしかに彼女の言ったとおり威厳があり、そのまなざしは澄み切って、しかも人の心を見抜かれるような深い憂いと慈しみに満ちておったという。
サマリヤの人たちはな、最初はこわごわとイエス様を取り囲んでおったが、やがて夕暮れせまる井戸端にみんな座りこんで、イエス様のお話に熱心に聞き入っていたそうな。
あたりが暗くなってきたのと反対に、彼らの心は明るくなり、神様をあがめたそうじゃ。同時にもっと神の言葉を聞きたいという思いが高まってな、彼らの代表が思いきってお願いしたと。
「どうか私どもの町にお泊まりくださり、もっと私たちに神の言葉をお語りください。」
この突然のお願いにイエス様はにっこりと微笑まれ、大きくうなずかれたという。彼らの感動と感謝は歓声となって暗い荒野に轟いたそうじゃ。イエス様はそのサマリヤの小さな町、スカルに二日間も滞在されたというぞ。
彼女の言葉は真実じゃった。彼らはそれまで毛嫌いしていたサマリヤの女性に、あらためて感謝を述べたそうじゃ。嫌悪していた女性の証言によって、メシヤに会うことができたんじゃからなあ。
スカルの町の人たちは彼女にこんなふうに言ったと。それを語るとき、彼女の頬は高潮してな、大きな目が潤んでおったわ。
「あらためてお礼を言わせてくれないか。あんなに邪険にしたのに、大事なことをわしたちに知らせてくれてありがとな。わしたちは、あんたが話してくれたおかげでイエス様に出会えたんじゃ。だが今はな、あんたの言葉で信じたんじゃないぞ。誰もが直接イエス様にお会いして、自分で聞いて、救い主だと信じることができたんじゃ。ありがたいことじゃ。この目でイエス様を拝めるとは! スカルの町のみんなが、あんたには感謝しておる。」
これで彼女の話は終わりじゃ。彼女は最後に、少年の私に「真剣にあたしの話を聞いてくれてありがとね」と礼を言ってな。私は思わず彼女に抱きついたわ。目の前にイエス様がおられるような、魂がゆさぶられる感動じゃったよ。たったひとりのサマリヤ人、しかも女性によって、スカルという小さな町に福音が届いたのじゃ。
この後、私はイエス様の十字架の前で彼女と再会することになる。悲しい再会じゃった……。