イエスさまに出会った少年の物語 第6話 ゴルゴダへの道

橘由喜

〈前号までのあらすじ・少年のころイエスに出会った老人が、その思い出を語り始めた。〉

 イエス様にはじめてお目にかかってから、すでに二年半がたち十二才になろうとしていたわたしは、叔父を頼ってひとりでエルサレムに出てきた。働くためじゃ。ユダヤでは十二才になると一人前の大人として扱ってもらえる。

 実は、もう一つの大切な目的があった。それは、もう一度、あのイエス様にお会いすることだった。むしろ、この目的のために、母を説き伏せてこのエルサレムにやってきたといったほうがいいかもしれんな。

 だがな、ガリラヤからエルサレムについたその日に、わたしは恐ろしく衝撃的なうわさを聞いた。あの神の御子イエス様が十字架で処刑されるといううわさじゃ。

 知ってのとおり十字架はもっともむごい死刑のやり方だ。冗談じゃない、よりによってイエス様が死刑になるはずはない、とわたしは即座に否定した。腹がたった。デマにしてもひどすぎる。許せなかった。わたしは、叔父の家に着くと、まずこのうわさの真偽を確かめた。が、叔父の答えはわたしをそれこそ奈落の底に突き落としたのじゃ。


  「ほんとうじゃぞ。わしは下役人からじかに聞いた。神を冒したとかいうことだったが、そんなことで死刑になるかのう。ひどい話じゃ。」
 「叔父さん、まさか!」
 「しかも今朝だとよ。これからゴルゴタまで十字架を背負って歩かされて行くらしいぞ。恐ろしいことじゃ。みんな殺気立っている。お前もめったなことで外出してはならんぞ。」
わたしは、その言葉の途中で駆け出していた。ゴルゴタの丘なら聞いたことがある。死刑囚が自分の十字架を背負って歩かされるというやり方も聞いたことがある。だが、どうして、イエス様が!
走りながら涙があふれた。払っても払っても涙があふれ、まわりの景色がぼやけて、まるで湖の中を走っているようなもどかしさだった。


 エルサレムの城壁が見えてきた。その城門を出ると、そこからゴルゴタまでの道はドロローサ(悲しみの道)と呼ばれ、死刑囚が自分の十字架を背負って歩くためにつくられた土と瓦礫の道が続いておる。しかし、そこにはすでに群集が詰め掛け、喚声とも怒声ともつかない叫びで覆われておった。

 ときどき、その群集の頭上からわずかに十字架の端が見え隠れしている。

 誰かが十字架を背負って歩いているためだ。まさか、まさか、あれがイエス様か。まさか、そんな! わたしは確かめたかった。わたしは群集を力いっぱい押しのけて前に出ようとした。だが、そんな力では殺気立った群集に勝てるわけがない。すぐに押し戻され、わたしは道の端にしりもちをついてしまった。そのわたしを踏みつぶすような勢いで群集は大声でわめきながら進んでいった。わたしは体中、あざだらけになりながら、やっとの思いで後からついて行くしかなかった。

 「ワーッ。」
ものすごい喚声じゃ。十字架が止まった。担いでいた人が倒れたようだ。

 「立てよ、ほら、ほら、王様、あはは……。」
 「こりゃだめだ、だれか担いでやれよ。」
 「おい、シモン、お前、代わりに担げ!」
わたしの前にいた大男が急に引っ張り出された。そのはずみでわたしも群集のすき間から、道の真ん中に投げ出された。

 ああ、なんと、そこには忘れもしないあの高貴なお方が、体中血だらけにして倒れておられたのじゃ。頭に茨の冠をかぶらされ血がしたたり、顔もはれあがり、苦しそうに肩で息をされていた。

 その肩を、兵士が邪険に棒の先でこづいた。イエス様はコロッと地面に倒れた。そして、のろのろと起き上がると、再び荒削りの木の十字架を担ごうとした。しかし、倒れた十字架を立て直すことはできなかった。

 十字架はイエス様の背丈の二倍はあった。クレネ人のシモンという男が黙ってその十字架を担いだ。彼とイエス様の関係はわからん。しかし、いつしかその顔は汗だけでなく涙でぬれておった。わたしは、崩れるようにイエス様のそばにしゃがみこむと嗚咽した。抱きつきたかったが、あまりの痛々しさにそれすら躊躇した。

 そんなわたしを兵士がど突き、大きな足で蹴り、はじき飛ばした。それでもわたしは懲りずに起きあがってイエス様に近づいては、また蹴られた。

 その繰り返しの中で、イエス様と目が合った。汗と血と殴られた痕で顔ははれあがっておられたが、その澄んだやさしい目はイエス様特有のものじゃった。じっとわたしを見つめたその目は悲しみに満ちておられた。わたしは言葉もなく、ただ嗚咽するばかりじゃった。

 再び兵士の足がわたしの横腹をけり上げた。強烈な痛みと息が止まるような痙攣が起きてわたしはそこにうずくまったまま動けなくなってしまったのじゃ。怒声と罵声と喚声が耳の奥でこだまするような感じがして、そのままわたしは気を失ってしまった。

 気がつくと、涼しい木陰に寝かされていた。だれがわたしを運んでくれたのかわからない。イエス様と群集の姿はすでに消えておった。


 わたしは腹の痛みを我慢してゴルゴダの丘に向かって走った。気ばかり焦って足がからみ、何度も転んだ。喉がカラカラで声が出なかった。

 やがて遠くに小高い丘が見えた。ゴルゴタの丘だ。めったに人もこない陰気な丘だ。まだ朝の九時だというのに、なんだかどんよりと曇った湿っぽい日だ。汗と一緒に涙があふれてくる。遠くに三本の十字架が見えた……が、何ということじゃ。三本の十字架の中央にイエス様が見えるではないか。その周囲に兵士の影が見える。

 太陽は真上に来ていた。昼をとうに過ぎたようだ。すでに群集は去った後らしい。さっきまでの罵声や怒声は影をひそめ、そこにたたずんでいる多くは婦人だった。

 わたしの足は止まった。どうしてこのまま進めようか。十字架上のイエス様をどうして見上げることができようか。わたしは十字架のはるか手前でひざまずき、泣き出した。わたしの後からも次々と人がやってきたが、その人たちもわたしの近くにひざまずくと泣いておった。

 ほとんど婦人じゃった。その嗚咽はだんだんと大きくなり、多くの婦人はその場に突っ伏して泣きじゃくっておった。

 つづく