ウツと上手につき合うには 最終回 傷ついた癒し人


斎藤登志子

 二年前の夏、私は入院生活を送りました。引っ越しで疲れているところに子どもたちが成長して私をあまり必要としなくなり、空の巣症候群のような状態に陥ったのです。場所を変えて静養したほうがいいと医者は判断しました。

 二十年にわたる闘病生活で初めての入院でしたが、とても貴重な体験でした。

 山の中にある病院は豊かな自然に恵まれ、病棟も新しくなったばかりのようで清潔感と温かみにあふれていて気持ちよく過ごせました。

 それまで、あわただしい生活を送っていた私は、食事とお薬の時間を待つだけの入院生活で少しずつそれまでの疲れが癒され、硬くなっていた心がほぐされていくのを感じました。しかし、なによりも私を慰めてくれたのは入院している人たちの優しさでした。この人たちの中にいれば傷つけられることはないという安心感が持てたのです。

 たしかに社会生活を営むのは難しいだろうなあと思われる人もいましたが、人を欺こうとする悪意や出し抜こうとするような競争心がすっぽり抜けていることがこの人たちを優しくしているのだろうかと思いました。日々の暮らしにあくせくしていた私は、病気のままでもいいじゃないかと思えるようになってきました。

 食事のときに前の席に座っていたかわいらしいIさんは入院生活の心得を、同室のYさんは病院のルールをよく知らない私に忍耐強く、上品に間違っているところを正してくれました。いったい、どうしてこの人たちが病気なのだろうと思うこともしばしばでした。優しさと謙虚さに満ちているこの人たちと、表面上は綺麗事を言うけれども心の底では何をたくらんでいるかわからない一般の人たちと、いったいどちらが正常なのだろうかとすら思えてくるのでした。

 退院の朝、ひとりで窓の外を眺めていると、みんなからゆう子ちゃんと呼ばれている人が近づいてきました。この人はどう見てもおばあさんなのですが、だれに対しても「おねえちゃん」と呼ぶのです。いろいろなことを話しかけてはくるのですが、よく意味のわからないことがほとんどでした。ところがこの日に限って、とても明瞭に自分のことを語り始めました。「三番目のおかあさんは私にご飯をくれなかった。それで、私が泣かなかったら、どうして泣かないのと怒った。……おじいさんと二人で暮らしていたけどおじいさんは死んじゃった。(とても悲しそうな顔をした)……私は死んだことにしてここにきたの」。そのとき、私はゆう子ちゃんの中にイエス様がおられるのに気づきました。それまで、マザー・テレサが貧しい人の中にキリストを見る、と言っているのは比喩だと思っていました。けれども、今、ここに、ゆう子ちゃんの中に紛れもなくキリストがおられるのだと実感したのです。傷つき、愛されたいと願っておられるイエス様が。

 満ち足りた思いで私は退院しました。現実の生活はなんと情報と騒音の多いことかとあらためて驚きました。それに比べると病院での生活はまるで天国でした。だれもが自分の弱さ、足りなさをありのままで受け入れてもらえる場所、天国ってもしかしたらこんなところかもしれないと思いました。


あなたがいてくれるから

あなたがいてくれるから
わたしはきょうも生きています。
あなたがいてくれるから
わたしは生きていられるのです。

あなたは傷ついた癒し人。
わたしと同じ心の病を負った人。

あなたの傷がわたしを癒す。
あなたの涙がわたしを潤す。

どんな名医よりも
どんなカウンセラーよりも
どんなに親切な友人よりも
病気のあなたの存在が
わたしの心の支えです。

ことばにださなくても
あなたは全部わかってくれるから。

あなたがいてくれるから
わたしもこうして生きているのです。


(『傷つきやすいあなたへ』木村藍 著、文芸社より)


 心病む人は傷ついた癒し人です。その存在は同じ心病む人だけでなく、殺伐とした社会で生きている人をも癒す力を持つのだと私は信じています。