ウツと上手につき合うには 第6回 がんばっていませんか
斎藤登志子
がんばっている人を見ると疲れませんか。
もしそうだとしたら、あなたの感性は比較的健全なのではないかと思います。
がんばることこそウツの大敵であると私はみているからです。
最近でこそ、「がんばれ」ということばはそれほど頻繁に聞かれなくなったように思いますが、人から言われなくても、ウツの人は自分で自分にがんばれとプレッシャーをかける傾向があるように思います。
なぜそうなるのでしょうか。ひとつの原因は子どもの頃に受けた教育です。
私が子どもの頃の教育はとにかく「がんばれ」の一点張りでした。読む漫画は『巨人の星』や『アタックNo.1』といったスポ根ものが全盛期で、その真似をして、今ではまったく科学的に根拠がないとされているカエルとびを大真面目でやっていたものでした。
高度成長期の真っ只中にあった日本では、誰でもがんばればいい学校に入ることができ、がんばればいい仕事につくことができ、がんばればよい暮らしができると信じ込んでいたように思います。努力や忍耐といったことが美徳とされ、奨励されていた時代でした。
そのがんばり癖は、クリスチャンとなった後でもなかなか抜けずに、私は信仰生活の面でもがんばっていました。けれども、信仰はがんばったから結果が得られるという類のものではありません。ついに私は燃え尽きてしまい、うつ病になってしまいました。
うつ病になって何もできなくなった私は、神様からも教会からも見捨てられると思いました。けれども事実は反対で、神様はそれまで以上に私を愛してくださり、教会の人たちも私を大切にしてくれました。そのとき初めて私は、愛されるための努力は必要ないのだと知ったのです。
私を奉仕や集会出席にかりたてていたものは、愛されたいという願望だったのかもしれません。良い子にならないと愛されないという思い込みから、がんばって奉仕や集会出席に励んでいたのだと思います。
その背後には、ありのままの自分を受け入れられず、否定的にしか受け止められない態度が潜んでいるのだと思います。ありのままの自分でいいと認めるところから、がんばりの呪縛はとけていくことでしょう。
がんばりのほかにもウツに追い込む発想があります。
それは焦りと気負いです。いずれも今のままの自分ではいけない、より良い人間になろうとする気持ちから生まれているように思います。
ですから、ウツに陥らないためにはこう心がけるといいでしょう。焦らず、気負わず、がんばらず。
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うつとのつきあいも長くなると どうすればうつをさけることができるか、 知恵がついてきました。 焦らないことです。 気負わないことです。 がんばらないことです。 のんびりできればいいんですけれど、 どうもうつになりやすい人は、 高い目標をたくさん立てすぎます。 そこから焦りが生じます。 そもそも気負いすぎなのです。 そんなにがんばらなくてもいいでしょう。 もっとふつうに生きたらどうですか。 世の中の多くの人のように。 たいていの人はもっといいかげんで、 不まじめで、なまけ者です。 それでもちゃんと生きています。 人間なんてそんなものです。 焦らず、気負わず、がんばらず。 これがうつの極意です。 |
(『傷つきやすいあなたへ』木村藍 著、文芸社より) |