クリスチャンは戦争をしてもよいか? 最終回 「平和主義の時代」のキリスト者たち
藤原 淳賀
東京基督教大学専任講師
初期のクリスチャンここでいう初期とは、新約聖書の時代から、キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝のミラノの勅令(313年)までの時代をさしている。この時代のキリスト者は戦争についてどのような理解を持っていたのか? 村田充八氏は、インディアナ州立大学R・G・クロウズの研究を引きながら、ローマ帝国においてユダヤ人が兵役免除されていたこと、また初期のクリスチャンがみな平和主義者であったと述べている。 またイェール大学の著名な教会史家R・H・ベイントンは、170年まではクリスチャンが軍隊にいたという記録がないという。ケルソスは二世紀後半に、クリスチャンが軍隊に入らないとして、激しく非難している。彼は、もしすべての人が、クリスチャンのように兵役に着かないのなら、野蛮人たちによってローマ帝国は滅ぼされるだろうという。 初期の教父たちは一般に、キリスト者が軍隊に入ることを認めてなかったようである。三世紀の教父テルトゥリアヌスは、イエスがペテロに剣を収めるように命じた事に言及し、平和の子であるキリスト者が戦争に行くことは正しくないという。二世紀の殉教者ユスティノスは、必要ならば、キリストを告白しながら喜んで死ぬようにと勧めている。一世紀の教会指導者クレメンスは、神の国に属するものは神の法を守るべきであると語る。それは、汝殺すなかれ、汝自身のごとく隣人を愛すべし、右の頬を打たれたら左の頬を出すべしということである。 クリスチャンが軍隊に参加している最初の記録は173年に現れる。しかしテルトゥリアヌスは、キリスト教信仰を持つようになった兵士の多くが軍隊を去っていると211年に記している。戦うことを拒否した兵士の記録も残っている。 コンスタンティヌス帝と同時代の東方正帝ガレリウスは、軍隊からキリスト者を取り除くように語っている。戦いの役に立たなかったからであろう。大多数のキリスト者は300年くらいまでは軍隊に入らなかったようである。我々はこの最初の三世紀を「平和主義の時代」と呼ぶことができるであろう。 新約聖書の中で百人隊長はしばしば高く評価されているし、パウロは兵士のモチーフを用いてキリスト者の生き方を語っている(IIテモテ2章)。初期のキリスト者の生き方から平和主義をキリスト者の唯一の立場と主張することはできないであろう。しかし、戦争参加に激しい抵抗感を持って、教会史が始まっていったということを私たちは決して忘れてはならない。 国教と戦争参加四世紀以降、キリスト者の軍隊関係者は増える。あらゆる職業においてキリスト者の数が増えてきたということも大きいであろう。しかし、四世紀終わりにはキリスト教がローマ帝国の国教となり、いわゆる「キリスト教世界」が形成されて来たことが決定的要因である。キリスト者が社会の大多数を占めると、キリスト者であるということの意識が変わってくる。以前は迫害の中でもキリストに忠実に生きようとする思いと真剣さがあった。 しかし今や、社会の中心に立ち、「キリスト教的に」社会を支配していこうとする態度へと変わってくる。ローマ帝国が既に持っていた軍隊を支えていくことは国教として当然の責任と考えた。 ある人たちはそれを、社会的責任を考えない小集団的意識からの脱皮と考える。しかし、教会が国教として国家の一部に取り込まれていったということは致命的な後退である。 信仰とナショナリズムブッシュ大統領の支持率は戦争の勝利とともに上がった。我々はナショナリズムと重なり合っているアメリカのキリスト教を目のあたりにした(しかしアメリカにはナショナリズムを批判するハワーワスらの神学がある)。 私たちはドイツにおいてヒトラーを支持したキリスト教があったことを記憶している(しかしドイツにおいてはヒトラーに抵抗した告白教会が生まれた)。 大英帝国の植民地支配を批判する英国の神学は、わずかに耳にするのみである。アジアにもナショナリズムと強く結びついているキリスト教がある。 戦争は国益と直結しており、ナショナリズムの強い影がある。しばらく前から、西洋のお仕着せでない神学、アジアの土壌に合った神学などを語る人もいる。しかし、キリスト者が戦争を考えるとき、自らのよって立つ神学がナショナリズムを批判するものであるかどうかが何よりもまず問われなければならない。私たちの国籍は天にあるのだから。 (神学博士)
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