サバーイ・テ?(しあわせ?)
カンボジアで考えたこと [新連載] 海の向こうの現実
入江真美
Discipleship Training Centre在学中(シンガポール)
元国際飢餓対策機構海外駐在スタッフ
初めて開発途上国の貧困に苦しむ人々の存在を知ったのは、幼稚園の頃だった。我が家では、使用済み切手を集める運動に協力しており、この小さな働きを通して、神は幼い私に「海のむこうに住んでいる貧しい友だちがいる」ということを教えてくださった。
中学、高校時代の学びを通して、その「友だち」がなぜ貧しいのか、そのことが自分と無関係ではないことを知るようになった。現代史や南北問題を学んだ私は罪責感に苦しみつつ、日本人としてまたキリスト者としてどのように生きていくべきなのだろうかと考えるようになった。
大学一年生の春、日本国際飢餓対策機構(Japan International Food for the Hungry=JIFH)の働きを知り、会員として協力するようになった。学生時代の多くの出会いや学びを通して、罪責感を動機とする人間の行いには限界があること、神からいただいた愛に動かされて、すでに各地で働いておられる神のその働きにただ加わることが求められているのだと知るようになった。
「主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたがたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか」(ミカ6章8節)このみことばに応答し、私は1999年9月カンボジアに派遣された。
97年のクーデター以降、表面的には政治的安定を見せ始めたカンボジアは、まさに自立開発に着手し始めようとする時期だった。カンボジアの乳児死亡率は1000人中105人。おぎゃーと生まれた赤ん坊のうち、一割以上が5歳にならずに死亡する現状だ。平均寿命は50歳。15歳以上で読み書きができるのは男性48%、女性は22%。国民の90%が農民、90%が仏教徒と言われている。
国際飢餓対策機構カンボジア(FHI/C)が活動をしていたカンポート県のチュークという地域は、慢性的な食糧不足に悩まされている農民が大勢いて、米の収穫量が六ヶ月から八ヶ月分しか得られないという家庭も多い。カンボジアの農民は自分たちで収穫した米を食糧として生活しているから、逆算して四ヶ月から半年の間、十分な食糧がないという貧しさの中に置かれている。FHI/Cはそのような農村地域で、人々の基本的な必要と同時に、全人的な必要に応えようと様々なプログラムを行っている。
私は世界里親会プログラムの連絡調整員として、支援国の経済的な里親の方々と現地の子どもたちとの橋渡しの一端を担った。
首都プノンペンから、ガタガタの国道を二時間半。子どもたちの住む村はさらに奥にある。車が入れないあぜ道沿いにある各家庭に、オートバイか徒歩で辿り着く。多くの里子の家は高床式の簡単な造り。なかには木造の家に住むのも難しく、ココナッツ椰子の葉っぱや枝でできた家に住んでいる家族も少なくない。もちろん電気も水道もない。明かりは質の悪い油を燃やすか、ちょっと裕福な家ではロウソクも時々使用。月の満ち欠けでこんなにも夜の闇は違う顔を見せるのだと、実感することができる。
水は近所に井戸があれば恵まれた環境であり、ほとんどが雨水を巨大な瓶にためておくか、もしくは田んぼの周りに溜まった泥沼から生活用水を得ている。家の中にあるのは、ほんの少しの食器類と鍋と、数枚の衣類。子どもの制服用の白いシャツがその中に大切そうに混ざっている。半日の学校を終えた子どもたちは、毎日、農作業、家畜の世話、家事全般をしながら過ごす。
プログラムでは、年に一度の健康診断、二度の学用品と公衆衛生セットの支給、スタッフによる家庭訪問、木曜聖書勉強会、子どもたちの存在を喜ぶパーティやクリスマス会等を行って子どもたちを支援し、他のプログラムとも協力して地域の自立開発のため奉仕してきた。