ストロベル徹底追及シリーズ 聖書は科学の前で無力なのか?
今中和人
埼玉医科大学 総合医療センター 心臓血管外科 科長・准教授
■神の存在は自明という錯覚
「しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです」(第一コリント 一・二三)
勿論すべての人にキリストが必要であり、お伝えしてゆかねばなりませんが、このお方の贖いも救いも数々の奇跡も、全知全能の父なる神がおられることが必須の前提です。クリスチャンホーム出身者や信仰歴の長いクリスチャンが、しばしば錯覚し、認識不足なのは、自明のことである全知全能の神の存在が、すべての人、特に日本人にとっては自明でないどころか虚偽と考えられていること。全知全能の神が存在しないならイエスのすべても絵空事となり、このお方のみを懸命に宣教しても、当然実り少ないものとなります。私たちは、現に今の日本でそれを目のあたりにしています。
■渾身のシリーズ三作目
著者リー・ストロベルは、現在は牧師ですが、かつては徹底した無神論者の辣腕新聞記者。前々作『ナザレのイエスは神の子か?』ではイエス御自身に、前作『それでも神は実在するのか?』では聖書の神とこの世の現実とのギャップを通してキリスト教信仰にスポットを当て、大好評を博しました。斬新だった「意地悪な質問を発する懐疑主義的な新聞記者が食い下がる」スタイルはそのままに、三作目の本書『宇宙は神が造ったのか?』は邦題を超えて、壮大な宇宙から電子顕微鏡レベルのDNAに至るまでの広範な神の創造の御業に取り組んだ渾身作です。
一般人にとっては難解でどうしても敬遠したくなるような内容に、「一般人に近い立場からのインタビュー」というかたちで最大限理解しやすくアプローチしており、訳もすぐれているので、その場に同席しているような感じで五百ページに近い分量もあまり負担に感じずに読み進めることが出来ます。立派な経歴と実力を持つ現役の科学者や研究者が理路整然と無神論の誤りを指摘し、創造主を肯定する数々の発言を読めば、これまで無神論一辺倒の人でも考え直さずにはいられなくなるでしょう。
様々なテーマに取り組んだ十一章のうち四章以降は各々ほぼ独立しているので、三章以降は興味のある章から始めるという読み方も可能です。どの章も迫力・説得力満点で優劣つけがたいですが、特に三章は、誰もが学校で「確立された科学的事実」であるかのように教わった進化論が、いかに捏造も含めた誤りに満ち、実際には証拠探しがほとんど成功していない仮説にすぎないか、を明快に示して圧巻です。
■宣教を聖霊に丸投げ?
「聖霊によるのでなければ、だれも『イエスは主です』と言うことはできません」(第一コリント 一二・三)
確かにこの御言葉どおり、私たちとて自らの力で信仰を持つことが出来たのでないことはお互いの知るところです。ですが私たちは宣教について、聖霊に「丸投げ」しすぎてはいないでしょうか? 全知全能の神の実在がイエスの御業の前提なのに、この前提を疑わしいままに放置して「なくてはならない、ただ一つのもの」をどうしてお伝えできるでしょうか? 日本人はイエスを拒んでいるのではなく、神などいないと教え込まれているので福音に耳を傾けようとしないのです。
今の時代、全知全能の創造主を伝えることに、イエスを伝えることと同じくらい熱心であるべきです。創造主なる神を真っ向から否定してくるのが進化論であり、科学を偽装して「神などいない」と信じ込ませることにほぼ成功しています。ほとんどの人は、学校で教わったし学者も言っているので、実は十分理解できないが進化論が科学的事実に違いない、と信じています。
この科学・理論をふりかざしてくる力に対抗するのにムードや直感で訴えて、どうして勝利することができるでしょうか? 世の人が理解できるよう、科学的に論破しなければなりません。「単なる宗教書」「怪しい」と日本人が誤解している聖書を最初から持ち出す方法は逆効果です。本書を熟読し、無神論・進化論の誤りを十分理解して論理的に創造主をお証しし、私たちを主の栄光のために用いていただこうではありませんか!