バック・トゥ・ベーシック・シリーズ(3) 交わり キリストの香りが漂う

交わり
辻川 宏
単立 ホサナ・キリスト教会 牧師

 教会は、この世にある集団・共同体の中で、非常にユニークな存在です。年齢も賜物も趣味も社会的な地位も異なり、民族の違う者たちが、キリストにあって「一つ」にされている群れです。

 主イエス・キリストが「わたしの教会(単数形)を建てます」と言われているとおりです。相違点の多い者たちが、キリストの十字架の血によって、罪を赦され、「一つ」の神の家族に加えられているのです。それは、互いの交わりによって成長し、外に向かっては伝道と言う使命を果たすためです(ローマ14:18-19、マタイ28:18-20)。

 いっしょに集まる

 教会が祝福されるには、キリスト者が一人ひとり、日ごとに神との交わりにより、み言葉の糧によって養われることが大切です。「日々新たにされ成長する」必要があります(2コリント4:16、1ペテロ2:2)。しかし、現実の問題として、この世の嵐に翻弄されたり、試練に押し潰されたり、人間関係に疲れてしまうことがあります。

 ですから、聖書は「ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い」(ヘブル10:25)と勧めています。

 初代キリスト教会は、主にあって一つにされ、物心両面において互いに助け合い、命に輝いた、喜びに溢れた、愛の共同社会を築いていました。「毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた」と記されています(使徒2:46、47)。

 交わり

 礼拝は、神との交わりで、縦の関係とすれば、「交わり」は、主によって救われている兄弟姉妹たちとの交わり、神の家族としての交わり、横の関係です。まず礼拝において、主によって選ばれ、一つにされている、この聖なる連帯意識を強くすることが大切と思います。

 私たちの教会の礼拝では、「開心の時」があります。感謝の証しや祈りの要請もあり、主の前で喜びや悲しみを共にしたり、重荷を分かち合います。これが互いの横の交わりを深め、確かにしてくれるきっかけともなります。

 「交わり」とは、ギリシア語では「コイノニヤ」です。キリストの十字架によって、神との交わりが与えれています(1ヨハネ1:3)。その結果、キリスト者は互いに、真実な愛の交わりができるのです。

 主の再臨を待ち望み、主イエスを恋い慕う花嫁として、キリスト者の交わりは、清く、真実で、熱いものが感じられるものでありたいです。この愛の冷えきる終末の時代のただ中で、教会には、キリストの香りがプンプン漂う「コイノニヤ」→「恋の匂いや」と感じさせる「交わり」をつくり出して行く努力が求められているのではないでしょうか(ヨハネ13・34、35参照)。

 そのために、初代教会をお手本として、次のことを心に留めたいものです。

 信仰の原点に戻る

 互いにキリストにあって「新しく」されている(2コリント5:17)ことを認め合う。救いの恵みを共に感謝すること。

 へりくだる

神は、「無に等しいものを選ばれた」(1コリント1:28)。この事実は、私たちを謙虚にさせてくれます。

 「初めの愛」に戻る

全身全霊を傾けて、キリストを愛すること(黙示録2:4、マルコ12:30)。私たちは、罪赦された者として「赦し」を実践する。「赦し」は、交わりの潤滑油のような働きをします(エペソ4:32)。

 共感し合う

 喜びや悲しみを共感し、分かち合う。「良かったね」「辛いね」と声をかける。また安否を問い合うことも大切です(ローマ12:15)。

 祈り合う

どんな事でも、誰のためにも祈ることができます。祈りは特権です。祈りは、天の窓を開いてくれます。祈りは、主にある「交わり」を広くし、豊かにし、また深くし、強くしてくれます(エペソ6:18)。