ビデオ 試写室◆ ビデオ評 102 『ミラクルメーカー』と
『ナザレのイエス』


古川第一郎
日本キリスト改革派 南越谷コイノニア教会牧師

 今回は、この2つの作品を観比べてみたいと思います。『ミラクルメーカー』は、主に人形アニメによるファンタジックな作品、一方『ナザレのイエス』は、実写によるリアルな作品。それぞれの良さを生かして、イエスの生涯が描かれています。

 1.「ミラクル・メーカー」と「ピース・メーカー」
 『ミラクルメーカー』は、特に人を癒す方としての主イエスが描かれています。特徴は、癒す側からでなく、癒される側から描いていることです。会堂長ヤイロの娘タマルをを中心にすえて、病気の子供の苦しみ、教えに惹かれてゆく心の動き、家にイエス様が来てくれたことのうれしさ、大好きなイエス様と一緒に旅をする喜び、十字架を背負うイエス様を見るつらさ、復活のイエス様に会った興奮。全部、タマルという子供の目を通して描きます。当然、イエス様の表情、動き、言葉が、子供の目線に合っています。子供の目の高さで神の愛と力を伝えてゆくイエス様に、大人も引きつけられていきます。

 一方『ナザレのイエス』は、いろんな人の目線で描かれます。序盤はペテロの目線で、憎い取税人を受け入れるイエスを、中盤はパリサイ人たちの目を通して、罪人を赦すイエスを、終盤はマグダラのマリアの目を通して、人々に憎まれ殺され、なお愛し通し、死を突き破って勝利されるイエス様を見てゆきます。印象的なのは、放蕩息子のたとえ話を取税人マタイの家で語ることです。取税人を憎むペテロが戸口から中に入りません。しかしこの話が終わるころには、ペテロは心砕かれ、マタイに感謝があふれ、怒りと侮辱の関係だったこの二人に、和解が起こります。人と人を隔てる壁を壊していく方、平和を創り出される方、「ピースメーカー」。これが『ナザレのイエス』のイエスです。その目は語っています。「私はあなたの悲しみを知っている」と。民衆の、取税人の、娼婦の、病人の、そして敵の悲しみさえ、ともに背負っている故の影です。

 2.マグダラのマリヤ
 さて、最もイエスを愛した女性といわれる女性マグダラのマリア。『ナザレのイエス』では、『奇跡の人』のアン・バンクロフトが熱演。娼婦という設定ですが、聖書にそうは書いてありません。ただ「七つの悪霊を追い出していただいた…女」とだけ書かれています。『ミラクルメーカー』は、その点で忠実です。イエスと悪霊の激しい戦いが描かれています。イエスが葬られたとき、処刑場に戻り、血だらけの十字架を抱き締めて泣くマリヤに心を打たれます。一方、『ナザレのイエス』では、群衆が「バラバを許せ!」と叫ぶ中で、「イエス様よー!」と絶唱しながらつまみ出されるマリヤ、イエス様の遺体の足にそっと口づけするマリヤ。マリヤのイメージもずいぶん膨らみました。

 両方に共通するのは、映像の美しさ。この二本を何度も観ているうちに、イエス様がとても近い存在になっていました。