ビデオ 試写室◆ ビデオ評 36 『信仰偉人伝シリーズ・カルヴァン&ツヴィングリ』
古川第一郎
日本キリスト改革派 南越谷コイノニア教会牧師
偉大な宗教改革者の生涯が明らかになった!
ツヴィングリ | カルヴァン |
宗教改革の口火を切ったのはマルチン・ルターでしたが、徹底させたのは、スイスの二人の宗教改革者ツヴィングリとカルヴァンでした。この二人の生涯が映像化され、『知ってるつもり?』でも見ているように、よく見えてきます。
1.二人とも、神以外のすべてのものから自由でした。
二人とも追放を経験します。収入は断たれ、ひどい嫌がらせを受けたり命を狙われたりしますが、「神以外の何ものも私を邪魔することはできない」と、大胆な改革をしていきます。
2.二人とも霊的・社会的両方の改革を実現しました。
ツヴィングリはチューリヒで、修道院を廃止して病院や学校を作り、「街に物乞いがいてはならない」として福祉に力を入れました。カルヴァンはジュネーブで、女性の保護、夫の暴力を罰する法律の制定などを市に提案しています。ジュネーブは近代社会のさきがけとなり、世界中から人がやって来ました。信仰のために追放された人々も受け入れられ、「自由の町」と呼ばれました。その根底には、徹底的な福音理解がありました。
3.二人とも聖書の人でした。
カルヴァンはジュネーブを追放されて、シュトラスブールで静かな研究生活をしようとしますが、再びジュネーブ教会に招かれます。「ジュネーブに戻るくらいなら100回死んだ方がましだ」というほど傷ついていたカルヴァンでしたが、同僚ファレルの熱心な説得によってみこころを知り、戻る決心をします。その最初の説教では、一切余計なことを語らず、3年半前に追放された時に最後にした説教の聖書の箇所の次の節から、忠実に解き明かしを始めたというのです。まさに「みことばの人」でした。
4.二人とも、自分は消えて、ただ神の栄光だけが現れることを願いました。
ツヴィングリは47歳、カルヴァンは54歳で世を去っています。ツヴィングリの最後の言葉は、「体を殺しても、魂は殺せない」でした。彼の体は細かく刻まれ、焼かれ、灰にされました。ただ彼の語った福音だけが生き続けたのです。カルヴァンが最後に残した言葉は、「私の墓には石を建てないこと。私が覚えられるようなものは一切なくしてほしい」というものでした。彼はただ、イエスキリスの栄光だけが人々に覚えられることを強く望んだのです。
このビデオでは、誤解されがちなカルヴァンの予定論や、「カルヴァンが異端者セルべトスを火刑にした」という説に対して、ジュネーブ大学のヒッグマン教授が事実を正確に紹介しています。また、現在、キリスト教に複数の教派があることの積極的な意味にも気づかされます。もし複数教派の認められる社会であったら、悲惨な宗教戦争も避けることができたでしょう。