ビデオ 試写室◆ ビデオ評 42 『サムソンとデリラ』(ビデオ聖書コレクション)

サムソンとデリラ
古川第一郎
日本キリスト改革派 南越谷コイノニア教会牧師

サムソンとデリラの心の葛藤を温かく描く快作

 私が子供の頃、聖書の人物で最も好きだったのは、サムソンでした。なぜなら、単純に「強いから」です。男の子は強いヒーローが好きです。「川の流れを変え、鋼鉄をへし折るくらいは朝飯まえ!」という『スーパーマン』を良く見ていました。確かにサムソンも「人間の能力をはるかに超えたスーパーマン」でした。ただ、テレビや漫画のヒーローは、大体が品行方正で悪いことはしないのに、サムソンは、怒りっぽく、乱暴で、何よりも女性関係がだらしないという欠点を持っています。だから、大人になると、「イヤな奴だな」という評価に変わりました。

 さて、この作品は、ただの興味本位の映像化とはちがいます。もし、聖書にあるサムソンの物語を、そのまま表面的に映像化しただけなら、感動より嫌悪感をもよおすかもしれません。しかし、三つの深い主題が入っていることによって、ものすごい説得力を持っています。

(1)サムソンの葛藤
 デリラに力の秘訣を打ち明けることを迫られて、何度もうそをつくサムソンに、デリラが「私の愛を信じてないのね」と詰問します。そのとき、彼の心に、「愛する人に対して、不誠実ではないか」という悩みが生まれます。でも一方、彼女は敵のペリシテ人ですから、秘密が敵に渡ったら大変なことになります。でも「私の愛を信じてくれないの?」と迫られたとき、「彼女は裏切らない」と信じて、自分のすべてを打ち明けるのです。
 愛と秘密の葛藤。これは、彼が真剣に生きる姿です。

(2)デリラの揺れる心
 サムソンが敵につかまったとき、デリラは受け取った大金を見ながら、虚しさに駆られます。その姿は、銀貨30枚を受け取ったユダのようです。彼女は、サムソンを騙して秘密を軍隊に伝えるために近づきましたが、いつしか愛していました。役割と愛の葛藤。これを最後まで引きずります。そしてデリラはサムソンと一緒に死んでいくのです。

(3)悔い改めとゆるしの愛
 捕らわれたサムソンのもとに、故郷から友がやって来ます。昔、彼に振られた女性です。しかしそのときの彼は、あまりにも惨めな姿で、彼女が好きになったサムソンではありませんでした。でも、「私の愛は変わらない」と言うのです。そのゆるしの愛に触れたとき、彼の心に激しい悔い改めが起こります。涙を流して悔い改めるサムソンに、再び力が与えられます。まるで、主イエスの愛に触れたザアカイのようです。
 ここに新約の福音の光でのサムソンの物語の解釈があるように思います。

 最初は複雑な気持ちで見ていましたが、最後は感動的でした。サムソンは致命的な欠点を持ちながら、一方的な恵みによって選ばれた人だったのです。そこに自分を見ます。