ビデオ 試写室◆ ビデオ評 87 「NERO」
ザ・ダーク・エンペラー
古川第一郎
日本キリスト改革派 南越谷コイノニア教会牧師
何と悲しいハッピーエンド!「NERO ザ・ダーク・エンペラー」
前々回ご紹介した『クオ・ヴァディス』にもローマ皇帝ネロが登場しました。そして今回は、そのネロを主人公にした作品です。主演は『ドクトル・ジバゴ』のハンス・マシソン。黙示録の「獣」、即ち悪魔化した国家権力者の暗号は、「666」。「ネロ」をヘブル語で書いて、そのアルファベットを数字に置き換え、それを合計すると「666」。名前も暗号にするほど恐れられた暴君。私が始めて見たのは、教科書に載っていた石膏の像。怖い顔でした。ところが、『クオ・ヴァディス』のネロは、気の弱い、人に操られた惨めな男。意外な印象でした。この作品のネロは、もっと意外です。
親の罪のために、皇族でありながら奴隷として少年時代を過ごしたネロ。同じ奴隷の少女アクテと恋に落ち、彼女への愛は皇帝になっても変わりませんでした。母親の猛反対にも関わらず愛し抜こうとする姿には好感を感じます。
皇帝となったネロと婚約者のアクテが語り合う夢。「みんなが幸せになれる国を作ること」。真剣に2人は考えました。何と純粋な若者でしょうか!そして、元老院の主張する「軍備増強と増税」に反対し、「公平な税制によってこそ、反乱を防ぐことができる」と主張します。このネロに日本の首相になってほしいくらいです。とてもすばらしい青年です。
ところが後半のネロは、じわじわと変わって行きます。弟を殺し、母を殺し、パウロを殺し、クリスチャンを殺す。流血の男。何が彼を変えてしまったのでしょうか?映画を観て感じてみてください。そこには現代に向かって語りかけてくるメッセージがあります。
もう一つ印象に残ったのが、アクテの変化です。ネロの中で「流血の心」が目覚め始めている頃、アクテの中では「求道の心」が目覚めつつありました。パウロのもとでクリスチャンとなったアクテが、ネロの弟殺しを知ったとき、「私はクリスチャンよ。人殺しは愛せない!」と言ってネロのもとを去ります。このときのアクテの信仰には、まだ律法主義的な要素が否定できません。
「ネロを救いたいです」というアクテに、使徒パウロは「我々が人を救えるなどというのは思い上がりだ。すべては恵みだよ。祈りなさい」。ネロのために必死に祈るアクテ。殺すネロを生かす恵みの主。最後にこれが明らかになります。すべてをゆるし、無条件に愛し、抱きしめたアクテ。しかしネロに残された時は僅かでした。しかし、ネロを包む温かい光が、「彼も救われたのだ!」と語っているようです。悲しくはあっても、なお、ハッピーエンドです。