ファインダーから見た情景 1 三つ子の魂、百まで

三つ子の魂、百まで
秋山雄一
フォトグラファー

 昔、通っていた教会の前には大きな「謙遜」の看板が線路沿いの電車から見える所にありました。幼い頃、「どういう意味?」と母に聞くと、「相手にゆずったり、遠慮することよ」とのことでしたが、頭の中は、???マークでいっぱいでした。ただ、ゆずること、控えることを覚えた時期だったかもしれません。電車に乗ると、決まって「他の人のために立ってなさい」と言われたものです。

 大学時代、仲間内で写真が流行り、普段の日でも使い捨てカメラを持ち歩いていました。謙遜という言葉を忘れていた時期だったのか、写真を撮ると目立つ位置に陣取ったり、友達が撮ってくれるときには過剰にポーズをつけたり、自分をよく見せることに真剣だった日々を思いだします。

 20代後半の写真を学んでいた頃、そんな写真に対する感覚は変わって行き、課題で自分で自分を撮ってくるセルフポートレートの時には、ずいぶん悩んだ記憶があります。

 ある日、カメラを手に歩いていると子犬が目の前に。そのかわいらしさに何枚か撮っていると自分のシルエットが西日できれいに形作られているのを発見!

 数歩下がると全身は入るけど、自分の影をそのまま撮るのは……あくまで陽が子犬で陰が私、と主役は子犬のままにしておこうと……。

 今では旅行でも景色しか撮らず、仲間との写真でも片隅へ行く傾向が出てきました。

 「三つ子の魂、百まで」、写真を通して自分をみると、すこしずつ昔の記憶(教え)が、今の自分にかかわっているような気が……。

 今でも電車に乗ると、幼い頃、祖父といつも決まって乗っていた(前方を見渡せる)運転席のすぐ後ろへ行きたくなります。