フィリップ・ヤンシー氏、来訪して被災地へ ◆「イエスもそうされたから」
震災から一年、米国のクリスチャンジャーナリスト、
フィリップ・ヤンシー氏が、東北・宮城の地を訪れた。
数々の著作で、痛み、苦難について問い続けてきた彼は、
今まさに「痛み」を負っているこの地で何を思い、語るのだろう。
『神を信じて何になるのか』―。この衝撃的なタイトルの本は、東日本大震災が起きた直後の昨年四月に出版された。震災後、急遽書き加えられた「日本の読者の皆さんへ」の中で、著者であるフィリップ・ヤンシー氏はこう述べている。「本書のタイトル『神を信じて何になるのか』は、間違いなく今、日本の多くの人々が問うている疑問です。……苦難に直撃されたとき、人は苦しみの大小にかかわらず、同じ問いを口にします」
被災地で行われたヤンシー氏の講演のテーマは、まさにこの問いであった。
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三日間に及ぶ被災地訪問は、三月七日、気仙沼市から始まった。
津波の被害だけでなく、海に流れ出した重油による火災で、町が燃えたという気仙沼市。津波で町が丸ごと破壊された南三陸町。全校生徒の七割が津波によって亡くなった石巻市立大川小学校。卒業式があった三月十一日で時が止まったままの名取市立閖上中学校。体育館の床一面に、流れてきた写真、卒業証書、賞状などの“思い出”が並べられた閖上小学校。三陸沿岸部を車で回りながら、震災の被害、規模の大きさを見せつけられた。
震災直後には、見渡すかぎり瓦礫の山だったという町は、一年を経て何もなくなっていた。土台しか残っていない家、草に覆われた田んぼ、コンクリートがはぎ取られた道路。「ここは住宅地でした」かつての町の姿を知っている人が、そう教えてくれた。
ヤンシー夫妻はことば少なく、津波の爪痕がまだ生々しく残る町をじっくりと見て回り、地元の牧師たちや被災した人々の話に耳を傾けていた。
気仙沼で、地元の牧師から「なぜ、このように災害があった場所を訪れて、被災した方々の話を聞くのですか」と聞かれたヤンシー氏は、こう答えた。「その答えはとてもシンプルです。それは、『イエスもそうされたから』です」
最初の著作『Where Is God When It Hurts?(痛む時、神はどこにいるのか)』(邦訳『痛むキリスト者とともに』)から長年、痛みや苦難をテーマとしてきたヤンシー氏にとって、自分自身が多くの悲しみ、痛みの中を通ることは、「同じような問いに悩んでいる方々の代わりに、私が神さまに問うため」だと言う。そして、「死に直面している方、悩んでいる方とともにいるとき、私は聖なる場所に立たされていると思っています」。
被災者の中には、「神はいるのか」という問いなど、何の慰めにもならない、現実問題として今の生活をどうすればいいのか、と切実なことばを向ける人もいた。さまざまな問いが渦巻く被災地で、今も葛藤しつつ生きている人々がいる。なぜこのような苦しみが起こるのだろう、この苦難の意味は何なのだろう。被災地を歩いたヤンシー氏は、講演の中でこう語った。
「『なぜこんなことが起こるのか』聖書の中で、イエスは人々にそう尋ねられても、直接答えることはありませんでした。『なぜ、この東北で地震が起きたのか』。……イエスがひとつだけ明らかにされたのは、人々が痛み、悲しむとき神はどう感じているのかということです。神は今、日本が受けたこの大きな傷をご自身が受けた傷として痛まれ、ともに涙を流されています」