ブック・レビュー 「あの日」を境として
藤原淳賀
聖学院大学教授
東日本大震災は多くのことを開示して見せた。千年に一度の大地震は、人災と相まって、普段の生活では隠されていたものを我々に見せた。多くの偽物といくらかの本物が混ざり合いながら見えてきた。地の基が激しく揺れ動き、巨大津波に洗われ、おびただしい数の命が失われ、原発が爆発し、大地が汚されていく中で、何もしなかったとしたら、それは偽物であるといってよい。これだけの体験をし、「何事もなかったかのごとく」牧会を、研究を、日常生活を続けているなら、それは偽者である。
著者は応答した。著者は大震災の中、最初の原発爆発直後、福島に向かった牧師である(二六―三四頁)。「リミッターを外」したような状態(五二頁)で走り続けた。本書は、著者が三・一一以降「この三年余りの日々に考えたこと、感じたこと、悩んだことを一度言葉にしてみなければ、自分自身が前に進むことができない」(九二頁)と考えて書いたというが、著者を知る者として、それはよくわかる。
著者は本書を一人称の「僕」として語るが、それは単に個人的なものではない。所属する日本同盟基督教団、キリスト教界の文脈で語られた、パーソナルな神と人への応答の語りである。しかも電子メールに残された客観的記録に基づき、著者が解釈した「あの日」以降の歴史である。これは貴重な記録であり、また「あの日」を経験した者は緊迫感を持って著者とともに「経験の共有」(四頁)をすることができるであろう。
「あの日」を境として感じた著者自らの変化には、二重の面があった。一つは大震災それ自体という裂け目を通して見えてきた社会的側面に関するものであり(五二頁)、もう一つは著者自身が震災を通して考察した内的側面(若くして牧師の父をなくした経験)である(八八―九一頁)。両者への対応に共通しているものは「怒り」であったと正直に記している。この状況の中で、葛藤し神に問いかけ、しかし信頼しようとする一人の信仰者、牧者の告白は人々の心に触れるであろう。本書の出版を著者とともに祝いたい。