ブック・レビュー 「心のきよい者は幸いです――」
主の語りかけに耳をすまして

 『「山上の説教」に聴く   』
本間 義信
ウェスレアン・ホーリネス教団 玉川キリスト中央教会牧師

「第六の祝福は何でしょうか。主が語りかけておられる聖句は、『心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから』であります」(六〇頁)
「主イエスが常に強調されるものは、『心』です。キリスト教は徹頭徹尾『心の宗教』です」(六一頁)
「心のきよい者とは、対人関係においては、……きよめられて、全き愛に生きている者と言えます。対神関係においては、……徹頭徹尾、神第一、常時神の目の前に生き、万事神のためにささげ、不断神に頼り切って生きている者とも言えます」(六二頁)先の文章は、このたび出版されました工藤弘雄師の『「山上の説教」に聴く』からの抜粋です。
工藤師は、日本イエス・キリスト教団香登教会に赴任されて、今年十四年目を迎えておられます。この間、二〇一〇年春まで、八年間にわたって関西聖書神学校の教職養成のお働きを兼任されました。
そうした中で、二〇〇六年九月二十四日から二〇〇八年六月十五日まで、香登教会の講壇から「山上の説教」(マタイの福音書五~七章)を講解説教の形でとりつがれたのです。本書は、「山上の説教」概要と四十六編の講解説教で構成されています。
著者工藤師の奥様は、若いころ音楽の世界にあこがれ、トレーニングを続ける中で、声帯まひになり、絶望に落とされました。そのとき、「この世界に神と言われるお方がおられるなら、私に知らせてください」と心の中で叫びました。すると「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます」(マタイ六・三三)とのみことばが響いたのです。執着から解き放たれ、「加えて与えられる」お約束を信じたところ、声も回復しました。
工藤弘雄師は、聖書的きよめをとりつがれる説教者です。表に陰に、聖書的きよめの信仰が登場してきます。読者のあなたは、きよめの豊かさを堪能なさることでしょう。