ブック・レビュー 「真にみことばに立つこと」を真剣に求めているすべての人に


篠原 明
単立・中之条キリスト集会 牧会者

著者のひとりゴードン・フィーの新約聖書神学の授業を受けたときのことだ。いつも熱弁を振るっているフィーが、十字架に向かうイエスのことを語りながらことばに詰まった。彼は涙を流していたのだ。私はそこに新約学者として、またクリスチャンとしてのフィーの情熱と真摯さを見た思いがした。この本はそのような著者によって書かれた。
本書は聖書が書かれている文学上のジャンル(書簡、旧約聖書の物語文、使徒の働き、福音書、たとえ話、律法、預言書、詩篇、知恵、黙示録)に応じた解釈の仕方を解説している。そのように言うといかにも専門書だと思うかもしれない。しかし心配ご無用。信徒にも分かる聖書解釈の入門書を目指す著者の配慮は、本全体に行きわたっている。
クリスチャンの中には、「聖書を解釈する必要はない」「少しでも常識があれば聖書は読んで理解できる」(二三頁)という強い信念を持っている人たちがいる。私自身もそのような信念を重んじる伝統の中に育った。だからこそ、こうした確信を肌感覚で理解する一方で、そこに潜む「盲点」にも気づいた。その盲点とは何か。
私たちは聖書を読むときに、自分の経験や文化、教派・教団等の影響を持ち込んで聖書を解釈している。それにもかかわらず、「自分が理解している内容は聖霊や人間の著者が意図した内容と同じであると考える傾向」がある(二五頁)。ここに私たちが聖書解釈を学ばなければならない理由がある。
本書は聖書解釈の務めはふたつあると指摘している。第一の務めは「釈義」(聖書のことばのもともとの意味は何であったのかを見いだす試み)(三四頁)。第二の務めは「解釈学」(聖書のもともとの意味を自分の状況に忠実に適用する試み)(四四頁)。本書はこのふたつの務めへと私たちを導いてくれる。本書の翻訳出版を心待ちにしていた者のひとりとして、監修者の十余年にわたるご尽力に敬意を表し、翻訳者に感謝するものである。
「真にみことばに立つこと」を真剣に求めているすべての人のための必読書が、ここに誕生した。