ブック・レビュー 『「アンクル・ジョン」とよばれた男』
香港捕虜収容所通訳・渡辺潔の足跡
徳善義和
日本ルーテル神学校 前校長
英雄の物語ではない。とりなしに支えられた牧師の戦争体験の証し
渡辺潔牧師に初めてお目にかかったのは大学生のころだったろうか。授洗牧師であった本田伝喜牧師とルーテル神学校同期ということもあって、上京の折に夕礼拝で説教するのを、青年会員が打ち揃ってうかがった記憶がある。やがて神学生となり、牧師となってからも、教会総会のたびごとにお目にかかって、あいさつすることはあっても親しくお話しをする機会はなかった。小柄で、物静かで、いつも姿勢を正した紳士であられた。そのころからつい十年ほど前に、ご自身は香港で、ご家族は広島で、苛酷な体験をなさったようには見えなかった。それから後に、本書の旧訳が出版されて初めて、私はこの先輩牧師の驚くほど別の一面に触れることになった。そして戦後六十年、この新訳を喜んでいる。
本著は、その小柄で、物静かで、いつも姿勢の正しい紳士だったひとりのルーテル教会牧師の戦争体験の物語である。目立たない、普通のひとりのクリスチャン、普通の牧師が、香港という、かつての日本占領地で生きた記録である。
渡辺牧師は米国留学の経験に眼を付けられ、五十歳を過ぎて通訳として香港に行かされる。そこで戦争捕虜や抑留者に対する、日本軍の通訳となる。日本軍の勝利に誇りをもち、日本兵の横暴に心を痛め、怒る、普通の日本人、同時に普通の心をもったひとりの人間である。
だから、捕虜とされ、抑留されている人たちとも人間として出会う心を忘れない。非人道的な扱いを受け、飢えや病や孤独に苦しむ人たちのために身の危険を犯して、秘かに医薬品などを運び込む。そうしながらも、自分では軍の監視や懲罰を怖れずにはおられない。
だから、これは英雄の物語ではない。しかし、投げ込まれたある状況の中で、人として、クリスチャンとして、こう生きざるを得なかった普通の人の生きた証の記録である。自らの祈り、関わる人々のとりなしの祈りがこの人の日々を支えた、と心に刻んだ。