ブック・レビュー 『“「信仰」という名の虐待”からの回復』
心のアフターケア

『“「信仰」という名の虐待”からの回復』心のアフターケア
大久保進
日本基督教団・西東京教区無任所教師

自分の責任の自覚、自己決断が脱会後、確立されることが大切

 先にパスカル氏は、二〇〇二年五月『「信仰」という名の虐待』を出版されて、自分たちの信仰を絶対化する問題性を提起されました。

 私は一九八五年から統一協会問題にかかわり、しばしばパスカルさんと一緒にそこからの救出のお手伝いを続けてきました。当時、私たちは統一協会からの脱会を決心させることができれば救出は成功と考えていました。

 しかし、その後二〇〇〇年頃から、問題は脱会で終わらないことを知らされるようになり、カルトのマインド・コントロールは脱会後も深くその人の心を支配し、脱会して二十年以上経過したT牧師の告白を『福音と世界』誌(二〇〇七年一月号)で知らされ、改めてその問題性の深さに気づかされました。とともに、既存のキリスト教会内でもカルトと同じようなマインド・コントロールが行われ、深くその信徒の心を傷つけている実態をも知らされてきました。こうした現実を踏まえて今回パスカル氏のこの本が出されたのです。

 時を同じくしてスティーブン・ハッサン氏の『マインド・コントロールの恐怖』に続く『マインド・コントロールからの救出』も今年の一月に発刊されました。

 なぜ統一協会からの被害が特に日本でこんなにも多いのか、私はその原因は日本人の心性に深く関係しているように思います。パスカルさんもこの本の六五頁で触れておられますが、日本人の会話には主語がないのです。フランス語でも英語でも「Je;I=わたしが」が必ず記されますが、日本語では「承知しました」「できません」とは言いますが、「私は」とはつけません。日本語ではなるべく自分は出さないのです。自分は多数の人々の中に隠すのです。それがカルトの勧誘に対してもその集団の中に入る結果を招くのです。

 この主体性の欠如は脱会後も残り、物事を自分の決断で決められず、その決断を私にゆだねるようにさえなります。自分の責任の自覚、自己決断が脱会後、確立されることこそが大切です。