ブック・レビュー 『「日本」とキリスト教の衝突』
中山 弘正
明治学院大学 教授 日本長老教会 山の上教会 会員
敗けられない「衝突」に備えるためにも
本書は、信州夏期宣教講座(1999年、2000年)の講演記録である。五人の論陣は実に鋭い。山口陽一師は、1999年を「国家宗教の新たな始まりを予感させる」年とし、これと明治政府による教育勅語による臣民教育を重ね合わせる。元田永孚、井上哲次郎らの推進派と内村鑑三らが対比される。
求められていたのは「日本的基督教」であったし、「国体との融和による伝道の進展」であった。山口師は、「新たな国家宗教の兆し」のある現代に説きおよび、「神社あるいは神道的な価値観の弱体化」こそが、国家との癒着に導いていると分析する。
岩崎孝志兄は、教育勅語(1890年)に先だつ教学聖旨(1879年)の「天皇の教育干渉」、また軍人勅諭(1882年)などから論じていく。戦後の天皇の「人間宣言」も、「天皇は現御神ではないが神の裔である」と言っているのである。
小野静雄師は、教団を中心に、戦後日本伝道を反省的に検討している。底力のある神学も生まれなかったのではないか、霊の賜物が枯渇していなかったか。また地方教会のことを考えると「実際にはどの地域のどの教会にも適合しない抽象的な伝道が行われることになりかねない」(83頁)こともあったのではないかという。
登家勝也師は「宗教改革者の時代認識」を論じ、一見、本書の主題から最も遠いが、カルヴァンに即して、「この世の延長でしかない」ローマ教会(114頁)と真にみ言葉を生きた改革者たちを対峙させ、「かしら」から離れやすい日本の教会に強く警告している。
渡辺信夫師は、植民地下朝鮮の神社不参拝事件を詳しく述べ、「教会の戦いでは司令官がまず戦死する」(139頁)べきことを論じる。同時に「教会成長」を多角的に論じ、少数者の中でもそれは行われる、とする。
福音派の諸教会の中で、こうした論稿が本当に真剣に読まれる必要があろう。そして力をもたねばならない。