ブック・レビュー 『ともに生きる家族と信仰の継承』
古林 寿真子
南大阪聖書教会 主任牧師
罪ある人間の集まりである家族に、聖書はどのようなメッセージを送っているのか?
良きにつけ悪しきにつけ、日本では個人より「家」を守り、「家の伝統や格式」、果ては「家の体面」を保つということをたえず聞かされてきたように思う。そのために父親は強い権威であり、時に絶対者であった。そしてそれは強い規範意識と、ある種の家族重視の考え方を育ててきた。また同時に社会的に逸脱させないための強い歯止めという役割を果たしてきたともいえる。ところが、敗戦とともに「家」より「個人の自由の尊重」「合理主義」が一世を風靡する。個人の生き方の軸を確立せぬままに、個人が大切であるといって優先するとどうなるのか。戦後五十年あまりを経て、ようやく日本の将来を継承する若者たちの発言や行動に、また次の世代に強い危機感を覚え、バラバラになってしまった家族の不幸を国全体が認め始めたものの、解決の道が見えていないというのが現状だ。そして悲しいことに、それはキリスト教会やクリスチャンホームにさえおよび、ようやく「信仰継承」をいかにとの祈りがなされ始めている。
そんな状況の中で第四回伝道会議において、本書のテーマについて女性委員会が取り組んだ。評者もそれに参加し、直接お聴きした各々の講演が、本書で見事に調和し、そして深い説得力をもって悩める教会やクリスチャンホームの励ましとなり、その解決の糸口を示唆する一冊となった。
本書では、聖書に描かれた家庭像は必ずしも模範的ではないこと、そしてこのような事実を見ずして家族の危機を扱うことはできないということを、サウルの親子関係、イサクの妻リベカとその子、エサウとヤコブの母と子の関係などをあげて語られている。また人類最初の家族アダムとエバの家庭内に殺人があることからも、時代は変われど結局人間の内にある罪が深く結びついていることを教えてくれる。そして家族の中にこそ「和解の福音」が必要であり、そして福音を伝えようとするとき、傷ついている個人の救いとともに、その背後に全家族の救いを祈り求めることこそ神の御旨であり、まさに「信仰継承」であると気づかせてくれることだろう。