ブック・レビュー 『もしかすると、この時のため』
際に立つエステルとその勇気
嵐 時雄
日本同盟基督教団 国立キリスト教会 牧師
主の召しに、喜びをもって応じることができるように
タイトルを見たとき、それだけで著者の気持ちの幾分かを読み取れるような気がしました。本書はエステル記一章から八章の講解説教で、各章を単元とし、それぞれに主題がつけられています。ちなみにタイトルは四章から採られています。特徴としてあげることができるのは、新約聖書との結びつきの多さとわかりやすさです。「聖書は聖書によって」ということを感じさせられます。
著者の今までの説教集と同様、本書もていねいな釈義と徹底した聖書信仰が貫かれています。ことばも十分に吟味されていて、奇をてらう要素がまったくありません。そこに、読者(礼拝者)が人にではなく神に結びつくことを何よりも願う「牧会者の心」を見ます。
そもそも説教というのは、時や場所をある程度共有している人々に語られるものです。それを時も場所もまったく異にする人々(読者)に提供しようというのですから、そこには自ずと限界があるはずです。しかし、本書にはそのことをまったく感じさせない何かがあります。それは読者の抱えている問題と礼拝参加者のそれとが、深いところでつながっているからなのかもしれません。また、著者の「人のすべての問題は、神との関係、みことばとの関係に起因する」との信仰姿勢のゆえであるのかもしれません。
ALS(筋萎縮性側索硬化症)という病の中で、日を追うごとに困難さの増す状況にあって出版されたこの説教集は、すべてのキリスト者に主のご臨在、導き、そして驚くべき祝福を味わわせてくれるものと信じます。最後に、あとがきに記された著者のことば(祈り)を引用します。
「どうか願わくは、特に、勇気を必要としている人、導きを求めている人、主にある決断を求められている人が、本書を通して、みことばそのものの恵みに出会い、御霊のお取り扱いを受け、『もしかすると、この時のため』と、主の召しに、喜びをもって応じることができるように。」