ブック・レビュー 『イエスさまの消しゴム』

『イエスさまの消しゴム』
中野 雄一郎
巡回伝道者/JTJ宣教神学校

このような説教ができるなら、指の一本や二本……!?

 ある修道士が、ルターがへブル語聖書をいとも簡単に読んでいるのを見て、「このようにへブル語が読めるなら、指の一本や二本は惜しくない」と言ったという逸話がある。著者の説教を聞くと、この気持ちが良くわかる。「彼のように説教できれば指の二、三本切れても……」と言いたくなる。友として四十年以上も著者を知る者として、本書は牧師となって四十年たった彼の総集編である気がする。その特徴を五つあげることができると思う。

 第一は聖書的であること。著者はもともとホーリネスの流れの中で、車田秋次、小林和夫、村上宣道など各師の影響を強く受け、さらに青山学院大学の浅野順一師からも聖書神学の別の面も学び、今日に至るまで学び続けている。その説教は聖書の本文から離れず、知らないうちに奥深くに導くものとなっている。

 第二は実践的であること。今ここでだれにでもという普遍性、緊急性にも応じることができる。死の問題、人間関係、ビジネス、家庭の諸問題などに答えを出してくれる。

 第三は霊的であること。常に聖霊の臨在の中で語り、多くの心と身体を癒している。

 第四は教育的であること。一般の書物からの引用も多い。神学的なことだけでなく教育的、教養的側面を忘れない。

 第五はグローバルであること。巡回伝道者の私は世界中に伝道に行くが、どこででも師の説教が用いられている。牧師のいない教会はビデオやDVDで、最近は衛星放送やインターネットを利用して礼拝している。その数は数えきれない。

 師の牧する大和カルバリーチャペルに千五百人を上回る会衆が毎週集まるのは、その説教によるところが大きい。教会に集う人々が、説教をいまや遅しと待っている。

 彼のいう「潮干狩り的」説教は、真似できないものなのかもしれない。神様が彼に与えた賜物なのだ。彼のように説教しようとしたら、私の指はいくらあっても足りなくなってしまうだろう。