ブック・レビュー 『ピレモンへの手紙講録』
金井由嗣
関西聖書神学校学監
偉大な「人間知り」の書
「ピレモンへの手紙」は、わずか二十五節。日本語聖書では二頁弱のごく短い書簡です。この短い書物の講解説教が二百頁を超える単行本になるとは……。著者は一節一節、一字一句を大切に、あたかも名人の棋譜を読み解くようにしてパウロの言葉遣いに込められた深い配慮と豊かな愛情を読み取り、登場人物それぞれの人生と時代背景を手に入る限りの資料を精査して再構成し、なぜこの手紙が、この時期に、この言葉で書かれなければならなかったかを明らかにしてくれます。
神の言葉を託された偉大な使徒パウロを、著者は人の心の機微をよくつかんだ偉大な「人間知り」と評します。本書を通して、福音は単なる理論や哲学ではなく、信仰者のなまの人生に働く「神の力」であることを知らされます。このようなピレモンへの手紙の真価を十分に酌み取ることのできる著者もまた、すばらしい「人間知り」だと言えるでしょう。
聖書の一字一句を読み取るために、著者が膨大な情報に当たっていることにも気づかされます。関連する聖書箇所をすべて網羅し、多数の注解書はもとより、歴史書や初代教会の文書まで自在に参照されます。キリストの交わりの説明には物理の「パスカルの法則」まで援用されます。原文を精確に読む努力も惜しみなく払われ、必要に応じて的確な説明がなされています。パウロの文章の土台となる堅固な神学もしっかり描き出されています。
適用に重きを置いた遠心的講解であれば長くなることも珍しくありませんが、本書は徹底してみことばそのものを読み解く求心的講解です。みことばの一字一句を読み解くために、ここまでの労力を傾けること自体が驚きであり、本書の最大の特長であると言ってよいでしょう。
本書の読後、読者の賛美は著者にではなく「ピレモンへの手紙」を新約聖書に加えてくださった神に向かいます。すべては神の栄光のために。