ブック・レビュー 『マルコ福音書 講解説教 上・下』
岸 義紘
JTJ宣教神学校 校長
霊感あふれるいのちの説教集
この講解説教集は本格的で読みごたえがあります。普通、耳で聞く語りの説教を原稿に起こすと、言葉も内容も薄くなりがちです。分かりやすさを考え聴衆の興味と集中をつなぐためにも、おもしろく、楽しく、短めにといったサービスも考えてしまうからです。この説教集は違います。はじめから、耳ではなく、目で、頭で読ませる説教を書くつもりで、その気になって取り組んだかのような、神学的にも、論理的にも、実際的にも、内容が実に豊かで、一分のスキもない、完璧な講解説教に終始しています。それでいて、明るさ、分かりやすさ、霊的な深さと鋭さが全体を貫いています。
これだけの講解説教は短くても1日5時間、6日で30時間をかけて格闘しなければ生まれなかったはずです。その上、奥村牧師の知的資質の高さ、訓練と勤勉から養われた実力、そして何よりも「講解説教」にかける献身と情熱、救い主イエス様と教会の人々を愛する純粋な心によって、霊感あふれる、いのちの説教となっています。これだけの条件を満たしうる説教者は一世代に数人しか出て来ないでしょう。
「……説教を準備していて、精読に努めている聖書のテキストが、読めた! 意味が分かった! と感じる時がある。それは……細かい事がらが全体の構造に則して理解できた時です。……これは、マルコ伝というひとつの福音書の中でも言えるし……旧新約聖書を全体としても言い得るのです。従って聖書を読む場合に、全体つまり大筋の正確さと、テキストの個々の緻密な読みが重なってこなければなりません。」(下巻460頁)
主ご自身の羊である信徒を養うべき聖書の説教とは、いかにあるべきか。信徒が説教を聞いて、テキストの読み方を学び、メッセージを自らくみ出す。そして、聖書とともに自立的に信仰生活を生きる。これらに答える、模範的講解説教が、ここにあります。