ブック・レビュー 『ローマ人への手紙 翻訳と説教』
関野祐二
聖契神学校校長
多くは語らないが、聖書を深く掘り下げる
私訳と略注と説教の三部により構成された本書は、「マタイによる福音書」に続く二作目として、説教準備・グループ聖研・ディボーションに益するよう、著者の釈義ノートから生み出された新しいスタイルの書である。泉田氏といえば、一九七三年出版「新聖書注解新約2」所収『ローマ書注解』の著者としても知られ、その恩恵にあずかってきた一人として、三十余年を経た本書を興味深く味読した。本書の特徴を三つ挙げるなら、第一は聖書そのものに語らしめた明快さである。私訳の平易さと最小限の注に助けられ、ローマ書本文だけでもかなり理解が進み、パウロが何を言わんとしているかが的確に把握できる。特に、法学部出身の著者らしい律法の解説、九―一一章におけるイスラエルの救いの解釈は、大きな助けになる。第二は、難解な箇所もすべて、説教を序論と三ポイントでまとめた単純さである。三つの小見出しも統一性を持たせてあり、そうした単純化には異論もあろうが、わかりやすさは小気味よいほどであり、所与の箇所のポイントをとらえようとする著者の工夫の賜物である。第三は、適用を読者にゆだねた説教の淡白さである。その意味では、釈義ノート/説教ノートと称すべきかもしれないが、押し付けがましくないすがすがしさと、読者に与えられた自由を喜ぶべきであろう。
全体として、ことばをぎりぎりまでそぎ落とし、最小限の解説をもって聖書に語らしめる著者の控え目な姿勢に、好感を覚える。聖書を深く掘り下げるとは、必ずしも多くを語ることではないと、改めて気づかされる。
あえてささやかな注文を付けるとすれば、パウロがこの手紙を書き送る必要性を覚えた受け取り側の状況解説、「七十人訳」とは何かの説明、一・一六「力」(原語デュナミス)から派生した現代英語の意味を釈義に還元する問題点の解決、七章後半をパウロ回心後の葛藤ととらえる解釈の可能性であろうか。