ブック・レビュー 『ヴァン・ティルの「十戒」』
春名純人
関西学院大学名誉教授
イエス・キリストの真理に生き弁証した現代のアテネのパウロの道徳律法論
この書の特色は、組織神学者でも聖書学者でもなく、弁証学者、哲学者の手になる道徳律法論であることである。ヴァン・ティルは再生者〔キリスト教有神論者〕と非再生者はそれぞれが対立する二種類の哲学〔存在論、認識論、倫理学〕を前提にしていると言う。有神論哲学の存在論は、「神に解釈された存在」、「神の御意志の貫徹する存在」である。非有神論哲学の存在は、「まだ誰によっても解釈されていない存在」、「未解釈的原事実」(brute fact)である。有神論哲学の認識論の特色は、「類比的思惟」(Analogical reasoning)である。再生理性が、聖書〔特別啓示〕における神の解釈を前提とし、神の解釈の貫通した存在・実在を再解釈する営為である。類比的思惟は三位一体の神の思惟を「究極的準拠点」(the final reference point)とし、神の御意志への包摂と類比によって真理を認識する思惟である。いわばアナログ思考である。非有神論哲学の認識論は、自らを宗教中立的、自律的と思い込んでいる自然的理性〔生まれながらの人の理性〕が、まだ何の解釈も入っていない白紙の原事実を、神も人間も同じ平面で同じ同一律や矛盾律に服従しつつ思惟するかのごとく、すべての存在と道徳を自律的に解釈する「一義的思惟」(Univocal reasoning)である。いわば、すべてを人間の数値に置き換えるデジタル思考である。有神論的哲学の存在論と認識論を前提とする倫理学〔「十戒論」もこれに属する〕においても、この「類比的思惟」の方法は貫かれている。狭義の神のかたち〔知識と義と聖〕を回復された有神論者は、神の御意志である普遍に特殊を服従させ、包摂させて、善悪を判断し、神の御意志に従うことを喜びとする。有神論者にとって道徳律法は、「感謝の生活を規制する方法」(五一頁)である。キリスト教は、律法への服従と尊厳の回復であり、有神論の回復である(一九頁)。同時に、道徳律法には一般恩恵的効用がある。非有神論者も、一般恩恵によって、広義の神のかたちを保存しているので、道徳律法の外面的遵守は、彼らを宣教の対象とし、彼らの相対善を保証している。神の民にとっての道徳律法の効用と、一般恩恵による社会的正義と市民的正義の効用が、各々の誡めについて論じられている。
ニューヨークのウォール街の街頭に神学生と共に立ち、福音を語るヴァン・ティルの姿は、人々の宗教性に訴えながら十字架と復活の主を弁証し、悔い改めを迫った、さながら「アテネのパウロ」(ヴァン・ティルの書名)を彷彿させるものである。
読みながら感情の高揚と興奮を覚える異色の「十戒論」である。『ヴァン・ティルの「十戒」』の松田一男先生による明快な翻訳は、いま道徳律法の正しい理解を最も必要としている日本の教会への重要な貢献である。