ブック・レビュー 『八木重吉に出会う本』
遠藤 町子
カルバリ・バプテスト 豊田キリスト教会員、児童書作家
この詩を読んだときの感動は、今でも忘れられない
「八木重吉」のファンなら たいてい彼の名を耳にしただけで、心が清く、平和な気持ちになってしまうのではないだろうか。私が初めて重吉の詩に出会ったのは、中学の終わり頃だった。
わたしの まちがいだった
わたしのまちがいだった
こうして 草にすわれば
それがわかる
(草にすわる)
この詩を読んだときの感動は今でも忘れない。平易なことば使いが新鮮で、思春期の心にやわらかく、しかし確かに迫ってきた。どの詩を読んでも広がってくる奥深いところからの安心感、何も気取らない平和な充足感、それは不思議な読み応えであった。
また、日本人が語るキリスト教にも興味をそそられた。かくまで貫こうとする『キリスト教徒の道』とはどんなものだろうか。それを知りたい一心で、教会を訪ね、聖書を読み始め、果ては、重吉の生家に程近い「堺村境川」のほとりにまで住むことになった。
新刊『八木重吉に出会う本』が届いて、なつかしい詩に心をときめかせながら、時代の変化を痛いほど感じた。重吉の本などよほど探さなければ読めなかった時代から、夢のように美しい絵や写真の施された詩の本になっているではないか。
また「八木重吉の生涯」はこれまでの本にはない信仰者としての重吉が描かれていて興味深い。登美子夫人の「八木重吉の思い出」もキリスト教出版社だからこそ引き出せたという内容になっていてうれしい。
詩を愛するようになるのは出会い方によるところが大きい。解説やガイド文がよかったりすると、心が開かれて感動を引き出し、その詩を生みだした源泉までたどりたくなってしまう。そんな本として虚しさを覚えている人や、やわらかな純粋な心を持った人々に届いてほしい。