ブック・レビュー 『創世記講録』
結城 晋次
日本同盟基督教団 読谷聖書教会 牧師
「モーセによる福音書」の位置づけにわが意を得た
はじめに、何にもまさって、『創世記講録』の執筆に至るご労に、敬意と謝辞とを申し挙げねばと思います。本書は、830頁におよびます。これまで、書評を依頼されても、しばしば時間に追われて精読できないことが、正直言ってママあったのです。ところが、今回ゲラ刷りを頂いて、自らのヨタヨタした荒野の40数年の歩みをダブらせながら、あらためて主の恩寵をありがたく回顧しつつ、一挙に楽しく短時間で読了させていただきました。
登場人物の「老」「病」「生」「死」のすべてが、神との出会いの場となって、神の輝きを顕わすとすれば、これはもう、円熟老師の手に、講解をゆだねるしか術はありません。
「講録」とありますが、読了後の感想は、やはり「礼拝説教」以外ではありませんでした。そのことは、著者自身の「まえがき」と、出版の労をとった方の「あとがき」とが、出版経緯の意図を十分紹介しています。77講の終わり一つひとつに、符合した「讃美歌」と、説教後の「祈祷」とが置かれています。これがまた、「講録」に彩りを添え、読む者に、楽しみを与えてくれます。「講録」とありますが、やはり、すべては神礼拝の教会の現場でなされた「臨床説教」であり、また本書全体を読了したものは、誰でも、祈りによる
とにかく、創世記を、「モーセによる福音書」と位置づけて、講解する手法には、わが意を得た思いがしました。
注文があるとすれば、現今の教会員の大半が戦後教育世代であることを考慮するならば、「漢字四字語」には、ぜひとも、振り仮名を施す親切が欲しいところです。気付いた範囲では、誤字・誤植が見あたらないのも嬉しいことの一つでした。
ご労を多謝して。