ブック・レビュー 『塩狩峠、愛と死の記録』

『塩狩峠、愛と死の記録』
大嶋義隆
三浦綾子文庫の会 世話人代表長

『塩狩峠』ファン待望の、長野政雄の生と死の貴重な実録

 小学校六年生の時に『塩狩峠』を読んで感銘を受けた著者は、中学時代のいじめといじめられの地獄のような日々の体験を経て社会人となった。その時人生の危機に直面して、主人公長野政雄と三浦綾子が通った教会の門を一九九四年にたたき、二十三歳で入信・受洗した。

 ここまではよくある話で、年齢の差はあっても、また教会は異なっても、三浦綾子の本の読者が大なり小なり経験することである。しかし、「人生のすべてを神にゆだねて生きる決心をした」著者は、養護学校の代用教員の冬のボーナスを全部注ぎ込んでインドまでマザー・テレサに会いに行ったほどの行動力の持ち主で、綾子から名刺代わりに託された英語版の『塩狩峠』を届けた。それを契機に「『塩狩峠』の続編を書いてみたら」と綾子に一九九五年に背中を押され、「構想十年、取材五年」の歳月を費やして本書を完成させた。

 長野政雄の死(一九〇九年に二十九歳で)から九五年の歳月の流れは「執筆のための資料の収集」を「簡単な作業ではなかった」と三十六歳の著者を嘆かせたが、持ち前の行動力と粘り強さと人なつっこさとで、不可能を可能にさせた。それは、綾子の夫君光世を感服させた「彼の積極性」の賜物である。そして、なんと長野政雄が殉職の時に肌身離さずに携行していた、「赤黒いシミの跡がべたりとついていた」「小さな古い一冊の聖書」を「長野政雄さんの義理の姪に当たるTさん」から「あなた、政雄さんの二代目になったら」との言葉と共に受贈し、「衝撃と深い感動で手が震えた」という。

 このようなエピソードをちりばめた長野政雄の実像に迫る本書は、綾子の創作『塩狩峠』の感動を補強し、さらに高揚させ、読者にも著者と同様に長野政雄の生き方であるキリストの「愛の権化」(旭川六条教会員山内成太郎の言葉)に一歩でも半歩でも見習った生き方をしたいという願いを起こさせる。それは、少なくとも評者ひとりの決意でもある。