ブック・レビュー 『思いがけないところにおられる神』
中山 信児
日本福音キリスト教会連合 菅生キリスト教会 牧師
神のひろやかさへの信頼
本書はヤンシーの新しいコラム集である。別のコラム集が以前『深夜の教会』(あめんどう、一九九七)と題して出版されているが、両書を読み比べてみて思った。問い続ける彼の姿勢に変わりはないけれども、その立脚点が変わってきたのではないかと。誤解を恐れずに言うなら、以前は、人の現実の中から神について問うていたが、今は神の確かさに拠りつつ、人や教会の現実について問うているのではないか。「思いがけないところ」とはどこか。それは本書の六つの章のタイトルに表れている。「おぼろげに見いだされる神」「仕事の中に見いだされる神」「社会(Fractured Society)の中に見いだされる神」「ニュースの中に見いだされる神」「ひずみの中に見いだされる神」「教会の中に見いだされる神」がそれである。
最後を除けば、どれも人が神を求めようとするところではないだろう。またその教会にしても「鉄格子の中」つまり刑務所、それも人権など一顧だにされない南米やアフリカの刑務所の教会であったりする。実はこの部分は他のコラムの二~四倍の量になっていて、彼の視線が「中心」にではなく「周辺」に、「上層」にではなく「下層」に向けられているのが分かる。
しかし、彼自身は世界の「中心」アメリカに住む「上層」の人なのだ。彼の読者たちの多くもスラムよりは郊外に住み、刑務所よりは書斎にいて彼の本を読む。彼は自分と見つめる対象とのギャップに悩みながらも、その両方を同時に包んでくださる神のひろさに信頼している。周辺と下層におられる神はヤンシーの神であり、私たちの神でもある。この神のひろやかさの感覚が本書の基調をなしている。
さて、彼は本書の中で(評者にも関係のある)一つの重大な疑問を呈している。「いったい、温かくて人当たりがよく、それでいて細身になることは可能なのだろうか」(六四頁)と。カバーの著者近影を見るとヤンシーはどうやらその域に達しているようである。