ブック・レビュー 『新版 キリストの最期』
主の裁判と死についての瞑想
松木 充
コイノニア福音グループ 志木キリスト教会牧師
一世紀を経てなお力強く十字架を仰がしめる不朽の名著
ストーカーの本と出会ったのは、約三十年前、大学生のころであった。『キリスト伝』と『パウロ伝』に、陶酔にも似た感動を覚えた。その後間もなく神学校に進み、それが知識的にも霊的にも良き備えとなった。『キリストの最期』は、どういうわけか新版で初めて読んだ。三十年前の感動が甦った。訳者村岡崇光氏は、世界的な聖書原語学者であり、『キリスト伝』、『パウロ伝』(初版・新版)、本書初版の訳者でもある。本書は、「主の裁判と死についての瞑想」という副題が示すように、捕縛から始まって、十字架、葬りまで、二十三の章に分けて記される。歴史的背景や関連知識を織り混ぜながら、四福音書を総合して語り進められていく。
その深い洞察と瞑想は、本書最大の魅力である。たとえば、イスカリオテのユダの罪は正しく卑しむべきだが、私たちが分を越えて、彼が自分とまったく違った罪人と考えてはならないとする(一二三頁)。あるいは、十字架上の七言にも一章ずつ割き、丁寧な解説と霊想が加えられる。ただ、引照をほとんど示さずに四福音書を自由に行き来する点は、読者によっては難点かもしれない。しかし、いちいち引照を付しても流れを損なう。四福音書を熟読した後に本書を読めば、より深く味わうことができよう。
近年、聖書のイエス像に懐疑的な人々も増えた。しかし、それらの無責任な研究のどれも、本書のメッセージを沈黙させることはできない。ストーカーが言うとおり、キリストの受難を述べるのに仰々しい感動詞はいらない。事実そのものが力強く語る(四頁)。へりくだって十字架を仰がざるを得ないメッセージがそこにある。
原著出版から一世紀以上、訳書の初版からも三十九年が過ぎた。しかし、今なお本書は力強く語る。本書をより多くの方々に読んでいただき、私たちを愛し、私たちの罪のために死なれたお方に近づいてほしいと願う。