ブック・レビュー この現代にこそ語られるべき神からのメッセージ
橋本昭夫
神戸ルーテル神学校教授
本書は、敬遠されがちな黙示録を、現代への神のメッセージとして展開している。著者は、この書を迫害下の初代教会に送られた「使徒的『公開書簡』」(二八九頁)であると位置づけ、「特別に謎の書物としてでなく」(一九頁)、また「秘めた奥義の書ではな」く、「キリストのもとへと人々を招く伝道の書」(二九五頁)として提示している。
この現代にこそ、黙示録はその特異性を「正しく理解して解釈し、教える」べき書なのである。
本書に参考文献の記載はないが、あとがきにあるように、著者は「内外の多くの文献」を踏まえ、難解と思えるテキストから明快なメッセージを読みとっている。たとえば「白い馬」をローマの巨大な軍事力を象徴するとしつつ、「最近の日本国の歩みも黙示録的になっている」(九一頁)と言及している。「経済の破綻」(九三頁)についても同様である。
黙示録の難解さを印象づけるのは、ときとしておぞましいイメージ群であるが、著者はそのどれについても意味を明快に展開し、この書が「謎の書」でないこと根拠づけている。たとえば第六章の「七つの角と七つの目」(八四頁)。「十四万四千人」(一〇七頁)に代表される、特徴的な数字群の「解明」も説得的である。
講解においては頻繁に創世記、詩篇、イザヤ書、さらに福音書、パウロ書簡に言及され、ほかの正典諸書との有機的なつながりも示されている。黙示録の理解には、創世記に始まる「救済史」的視点が必要であると理解されているからである。それらとならんで、この書もまた「贖いの恵みを根拠として」(二一頁)理解されるとの立場である。
黙示録のメッセージは、なんと言っても「苦難の中にある教会と信徒への最も豊か慰めの言葉」(一一一頁)であり、また、読者に「主イエスの再臨を『来たりませ』と待つ姿勢を整えさせる」(二九七頁)再臨待望の祈りでもある。
著者は本書を、引退にあたり奉仕教会の教会員への「記念品」として献呈しているが、それはまた黙示録を深く理解したいと願う信仰者へのこの上ないプレゼントでもある。