ブック・レビュー これからの教会と牧師像へ
希望ある提言として

 『パウロの選択受け継がれる自活伝道の精神 』
斎藤 篤美
元日本同盟基督教団理事長

私は、著者の矢島牧師から数年前に訪問を受けたことがある。先生とは、三校合併で誕生したキリスト教大学付属の牧師研修機関「共立キリスト教研究所」でお会いしていた。当時先生は、所属している団体をリードするホープだと伺っていたが、その後、団体を辞されて開拓伝道に就かれたと聞いていた。十数年ぶりの再会で、先生からはいくつかの質問を受けたのだが、印象深かった項目をあげると、?日本のキリスト者数……小生の回答の六倍の数字が返ってきた。?礼拝出席者の数……かなりの急カーブで減少しているとのことだった。?働いている牧師の数……予想を上回る数だった。つまり先生は、日本のキリスト教会の現状とこれからを具体的な数字で教えてくれたのである。
戦後のキリスト教、特に〝福音派”と呼ばれる聖書信仰に立つ団体は、右肩上がりの成長のもと、キリスト教界の主役に躍り出ようとしていた。その流れに身をおいていた私に、先生は数字を挙げ、実情を説明し、これからの教会を見据えたときに、キリスト教界が自給伝道している伝道者に市民権を認めてゆく意味と必要を説かれたのであった。
私も、福音派の成長と教勢の前進にかげりが出始めているとの兆候を感じていた矢先での、先生との再会だった。本書の六章には、そうした数字と現状、つまり、キリスト教を求め信じようとする者は増加し、他方、従来の教会や礼拝には加わらない信仰者が増えている状況が書かれ、その処方箋として本書が記されたことがわかる。
その意味で、少子高齢化のもと、教会の閉塞状況と真剣に対峙している日本各地の牧師伝道者、役員信徒に著者が訴えるパウロの宣教姿勢を考えていただきたい、そのために本書を、と推薦した次第である。
著者は、従来の教会が〝エルサレム型”の教会像に偏りすぎた結果、若いキリスト者を教会、礼拝に取り込めなくなったと分析し、パウロが行った〝アンテオケ型”の宣教を「使徒の働き」から実証的に追究している。その適用こそ現場での課題だが、問題提起として評価したい。ここから、日本の宣教を考える契機としたいのである。