ブック・レビュー たいせつなきみ3
『きみはきみらしく』

たいせつなきみ3 きみはきみらしく
福井 達雨
止揚学園(知能に重い障害をもった人たちの家)リーダー

一人一人が、違うように創られている

 この絵本を読み、彫刻家エリに作られた人形が流行に巻かれ、自分を、人形の心をなくしていく姿に、現代の私たちの営みが二重写しになりました。そしてぐんぐん引き込まれ、ズシンと深いものが心に残りました。

 私は知能障害を持った人たちと五十年間生活し(何も、この人たちが私たちと同じようにならんでもよい。障害を悪と考え、克服するのでなく、特性ととらえて大切にしたらよいのや。この人たちは立派な知能障害を持った人間に、私たちは立派な知能障害を持たへん人間になったらよい。そして両者がその立派さを認め、心を合わせたとき、明るい優しい人間関係が育つ)と教えられました。

 エリの「ひとりひとりを、ちがうようにつくっている」この言葉が今、私の心に「私はいろいろな生命を創り、どれにも特性を与えた。その特性に私の恵みが豊かにあらわれている」というイエス様の御声として響きます。

 さて私たちは、目に見える肩書きやお金、名声を持つ偉い人を生み、その人を中心に多数の群れを作り、それを社会と呼んでいます。そして多数の中で同じような生活をし、安心を感じています。多数は力です。多数は偉い人を大切にし、見えないものを豊かに持っている立派な人間は無視しがちなものです。だから、木人形のパンチネロのように、多数に疑問を持っても、その力に負け、少数というしんどさから逃げることになってしまいます。その中でイエス様は今、多数に流されるパンチネロをエリが「おこってはいないけど、かなしそう」に見つめていたように、(人間がすべて)と高慢な、合理的な歩みをしている私たちの側に、愛と許しを持ち、悲しみに満ちた顔をして立って下さっているのではないでしょうか。

 この絵本を読み、私たちは表面的なきれいなものに目を向けてばかりいるのではなく、真の美しいものに目を向け、自分を見つめ直し、謙虚さをとり戻したいものです。