ブック・レビュー みことばに注がれる三つの誠実な視線
工藤弘雄
日本イエス・キリスト教団 香登教会 主管牧師
試練のただ中に置かれた友に送られた「ペテロの愛の手紙」の講解説教を読み終えたとき、温かい主の臨在を覚えました。本書の全ページに注がれている著者の視線は三つです。一つは、原典に注がれる誠実な学究者の視線、二つめは、臨在の主を仰ぐきよき信仰者の視線、三つめは、試練の中にある友に注がれる温かい牧会者の視線です。しかもその視線は現代社会の目線と乖離したものではありません。例えば、大江健三郎やスティーブ・ジョブズらの目線さえ聖書的に純化して用いています。
聖霊の霊感によって記されたペテロの愛の手紙の本文テキストへの著者の視線は、誠実で正確です。当時のキリスト者が置かれている困難な状況、直面する課題、異邦人社会、家社会、教会の中で、「愛する者たちよ」と呼びかけられている「聖選の宿人」である神の民が、何を受けたか、いかにあるべきか、そして何を受くべきかを、テキストの背景や前後の文脈を重視しつつ、正確に釈義が展開されています。
それとともに著者の視線は、常に臨在される慰め主に注がれています。
「信仰とは、神のご主権に対する全き信頼です。また、信仰とは、神が私たちのうちに臨在し、働かれるための領域です」(四一頁)。「私たちもまた試みの中に立たされ、悩み、苦しみ、傷つき、悲しむとき、その中にあって、かたわらに立っておられる慰め主なる神と出会うのです」(五一頁)。「それぞれの実際の生活の中で、……神の臨在と確かな守りを経験しつつ、『主がいつくしみ深い方であること』を味わうことで成長することです」(一一三頁)。
最後に、書名が示すように、著者の視線は使徒ペテロとともに今日の試練の中にある友に向けられています。試練の大小といった評価は傍らに置き、著者自身が、試練のただ中でペテロの手紙に向かい、臨在の主を仰ぎ、その目線で試練の中にある友に向かうとき、読者の心は慰めに満ち溢れ、傍らに立たれる慰め主を仰がずにはおられないことでしょう。